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浅井長政の家紋・家系図

家紋

浅井長政の家紋(三つ盛亀甲に花角)
三つ盛亀甲に花角(みつもりきっこうにはなかく)

浅井長政の肖像画に残る紋。

浅井家の家紋(井桁)
井桁(いげた)

祖父・浅井亮政の木像に残る紋。

浅井家の家紋(違い扇)
違い扇(ちがいおうぎ)

父・浅井久政の肖像画に残っている紋。


家系図

浅井長政の父母

父は浅井久政。あまり武勇に秀でていないといい、久政の代になってから浅井家は六角氏に降った。これに家臣たちの不満がクーデターという形で噴出し、強制的に家督を長政に譲らされて隠居させられた。死後、久政の首は長政の首とともに京で獄門にされた。
また、久政・長政・朝倉義景の首級(頭蓋骨)は信長によって、宴席で薄濃(はくだみ、漆塗りに金粉を施すこと)にされて酒の肴にされたという(『信長公記』)

母は近江国の豪族・井口経元の娘の "小野殿"。
『嶋記録』によれば、浅井滅亡時に十指を数日の間に渡ってじわじわと切断され、殺害されたと伝わる。

浅井長政の兄弟

長政には同母姉・京極マリアがいる。このほか生母不明の兄弟が4人、姉妹も何人かいるようである。

政元(弟、まさもと)
受領名は玄蕃頭。浅井滅亡となった小谷城の戦い(1573年)で自害した。
政之(弟、まさゆき)
姉川の戦い(1570年)で討死した。
治政(弟、はるまさ)
浅井滅亡後、越前国に隠れていることを知った前田利家に大文字屋茂左衛門の養子として保護され、大文字屋新十郎(だいもんじや しんじゅうろう)と称した。
岡崎安休(兄?)
詳細不明。
阿久姫(姉、あく)
浅井久政の長女。出家して実宰院(当時の実西庵)を再興した。浅井滅亡時にお市の方・茶々・お初・お江が実宰院に逃れてきた際、これを匿ったと伝わる。
京極マリア(同母姉)
京極高吉に嫁いだ。夫・高吉と共に洗礼を受けてキリシタンとなった(洗礼名:ドンナ・マリア)。

浅井長政の妻子

正室は六角家臣・平井定武の娘。継室には織田信長の妹・お市の方。側室に八重の方がいる。

平井定武の娘(正室)

長政が元服した際、長政の正室として六角氏から浅井家に送りこまれてきた。しかし、六角氏の圧力に屈する久政を嫌った浅井家臣がクーデターを起こして長政が家督相続すると、六角氏に送り返されている。

お市の方(継室)

お市の方は信長が浅井長政と同盟を結ぶ際、長政の室となった。長政との間に有名な浅井三姉妹を産んでいる。
浅井滅亡後は織田家に引き取られ、信長死後(1582年)に織田重臣・柴田勝家の後妻となった。しかし、夫・勝家が秀吉と対立し、賤ヶ岳の戦い(1583年)で敗れたため、勝家と共に越前北ノ庄城内で自害した。

  • 茶々(長女、ちゃちゃ)
    養父・柴田勝家とお市の方の死後、秀吉の保護を受けて、のちに側室となった。秀吉の後継ぎの豊臣秀頼の母であるが、大阪の陣(1614-15年)では家康と対立して秀頼とともに自害を余儀なくされ、豊臣家は滅亡した。
  • 初(次女、はつ)
    姉・茶々と同様に秀吉の保護を受け、のちに若狭小浜藩の藩主・京極高次の正室となった。高次の死後は出家して"常高院"と号した。
  • 江(三女、ごう)
    姉・茶々と同様に秀吉の保護を受け、のちに江戸幕府将軍・徳川秀忠の継室となった。
八重の方(側室)

浅井長明の母。

  • 長明
    詳細不明。
生母不明

生母不明の子に嫡男・万福丸や次男・万寿丸がいる。

  • 万福丸(嫡男、まんぷくまる)
    浅井滅亡時に匿われていたが、秀吉軍に発見されて関ヶ原で串刺しの刑にされたという。
  • 万寿丸(次男、まんじゅまる)
    浅井滅亡後、出家させられて正芸と号し、、副田寺(近江長沢村)の住職になったという。


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