あなたの好きな戦国武将が詳しく丸ごと早わかり! 最大級の戦国まとめサイト

島津歳久

島津歳久(しまづ としひさ、1537-1592年)は薩摩国・島津氏の島津貴久の三男で、島津義久・義弘の弟。


経歴

1537年(天文6年7月10日)、島津貴久の三男として誕生。
主に兄・義久の傍らで作戦参謀として活躍し、島津軍団の方針を左右する立場にあった。

秀吉の九州征伐(1586-87年)の前、島津家の評議の場では4兄弟中で唯一、和平を唱えたという。しかし、九州征伐が開始されると今度は一転して4兄弟中で唯一徹底抗戦を主張し、最後まで徹底的に秀吉に抵抗した。

その後、島津氏家臣・梅北国兼の秀吉に対する反乱(梅北一揆)が勃発した際に黒幕とみなされ、秀吉から自害の命を受けて無念の死をとげた。

略年表

  • 1537年(天文6年)、誕生。
  • 1554年(天文23年)、大隅・岩剣城攻めで初陣を果たす。
  • 1562年(永禄5年)、北原兼正討伐の総大将に任じられ、その居城・横川城を陥落させる。
  • 1563年(永禄6年)、吉田城(松尾城)城主を任される。
  • 1570年(元亀元年)、薩摩国の統一を果たし、歳久は祁答院氏の旧領地に入る。
  • 1580年(天正8年)、祁答院十二郷1万8千石を加増され、虎居城に入る。
  • 1586年(天正14年)、九州征伐前に兄弟で唯一和平を唱える。
  • 1587年(天正15年)、九州征伐の終盤では一転して兄弟で唯一抗戦を主張。
  • 1592年(天正20年)、梅北一揆が勃発し、秀吉に黒幕とみなされ、自害の命を受けて死去。


 PAGE TOP