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信玄の略年表

略年表

大永元年(1521年)
甲斐の守護・武田信虎の嫡男として誕生。
天文2年(1533年)
扇谷上杉家当主・上杉朝興の娘を正室として迎える。
天文3年(1534年)
正室の出産の際、難産によって正室も子も失う。
天文5年(1536年)
  • 元服し、第12代将軍・足利義晴から偏諱を賜り「晴信」と名乗る。
  • 同年、左大臣・三条公頼の娘を継室として迎える。

父を追放し、武田家の当主に

天文10年(1541年)
海野平の戦いに参戦。同年、父・信虎を駿河へ追放して家督を継ぐ。

信濃国への侵攻

天文11年(1542年)
諏訪領への侵攻を開始し、諏訪領を制圧。
天文12年(1543年)
信濃国長窪城主・大井貞隆を攻めて自害させる。
天文13年(1544年)
対立していた北条氏と和睦。
天文14年(1545年)
  • 高遠城に侵攻して高遠頼継を滅ぼす。
  • 今川氏と後北条氏の対立(第2次河東一乱)を仲裁。
天文16年(1547年)
  • 小田井原の戦いで上杉・笠原連合軍に大勝。
  • 分国法「甲州法度之次第」を定める。
天文17年(1548年)
  • 上田原の戦いで村上軍に敗北。
  • 塩尻峠の戦いでは小笠原軍を撃破。
天文19年(1550年)
村上義清の支城・砥石城を攻め、大敗を喫する(砥石崩れ)
天文20年(1551年)
家臣・真田幸隆(幸綱)の策略により、砥石城を落城させる。

上杉謙信との戦い、はじまる

天文22年(1553年)
  • 村上義清を上杉氏の元へ退かせ、北信を除いて信濃をほぼ平定。
  • その後、村上義清らの要請を受けた長尾景虎が北信濃へ侵攻してくる(第1次川中島の戦い)。
天文24年(1555年)
川中島で長尾景虎と対陣(第2次川中島の戦い)
弘治3年(1557年)
  • 信濃守護に補任される。
  • 同年、再び長尾景虎と「上野原」で戦う(第3次川中島の戦い)
永禄2年(1559年)
出家して "徳栄軒信玄" と号す。
永禄4年(1561年)
上杉軍と激戦となり、有力家臣らを失い、自らも負傷する(第4次川中島の戦い)
永禄7年(1564年)
再度上杉軍と川中島で対峙(第5次川中島の戦い)。

外交方針を転換

永禄8年(1565年)
  • 信玄暗殺を企てた罪で嫡男・武田義信を甲府の東光寺に幽閉(義信事件)。
  • 同年、婚姻外交により、織田家と同盟を締結。
永禄9年(1566年)
箕輪城を陥落させ、上野西部を領国化。
永禄11年(1568年)
駿河侵攻を開始。
永禄12年(1569年)
  • 上杉氏と和睦(甲越和与)。
  • 同年、北条の居城・小田原城包囲を行い、撤退戦で北条を撃退(三増峠の戦い)
元亀2年(1571年)
徳川領の遠江・三河侵攻を開始。

西上作戦と最期

元亀3年(1572年)
西上作戦を開始。
元亀4年(1573年)
西上作戦の途上で死去。


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