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【名場面】信玄と川中島の伝説:一騎打ち・決着説など(1553-64年)

南光坊天海がみた一騎討ち

--『川中島五箇度合戦記』ほか--

天文23年(1554年)8月、徳川家康の側近だった南光坊天海がまだ18歳の頃、信玄を訪ねたときのことである。

天海はこのころ、甲斐武田氏の祈祷師をしており、信玄にあいさつするために甲斐へ向かったが、川中島に出陣中とのことで信玄の陣所まで赴いた。

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信玄

まもなく謙信と決戦となろう。ここは危険だから、来春にあらためて甲斐でお会いしよう。

天海はいったん帰ろうとするが、翌日に思い直して再び川中島へ引き返した。夜通しで道を急ぎ、川中島近くに着いた。そして山上から戦場を眺めていると、謙信と信玄が一騎打ちしている場面に出くわしたという。
そしてその夜に天海は再度、信玄の陣所に顔をだした。

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信玄

帰られたと思っていたら、また戻ってきたのか・・・。奇特なことだ。

そして信玄の一騎打ちをみた天海は言った。

南光坊天海

源平両家の戦いからこのかた、大将同士の太刀打ちがあったことなどこれまで聞いたこともございません。お手柄なこと、感服いたします。

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これを聞くと、信玄の顔色はみるみるうちに変わって不機嫌になり、こう言った。

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信玄

・・・・謙信と太刀打ちしたのは、わしではない。

南光坊天海

!?そ、それは一体どういう・・・

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信玄

鎧兜など、わしとそっくりの影武者なのだ。これを知らぬ者はわしと思ったかも知れないが・・・
帰ってから奥羽の伊達や会津の佐竹に、わしが太刀打ちしたと言わぬように。

後年、武田の軍記物『甲陽軍艦』の中にある記述で、信玄が腰かけに座る中で、謙信が切り込んできた太刀を団扇で受けたことについて、天海は「虚言」だと力説してやまなかったという。

組み討ちによる川中島決着説

--『名将言行録』『川中島五度合戦次第』より--

永禄7年(1564年)8月、川中島最大の激闘となったときのことである。

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信玄

むむう・・これまで12年もの間、謙信と戦ってきたがいまだ決着がつかん。
明日、互いに勇士を出して組み討ちさせ、勝った方が川中島を納めることにしよう。

こうして信玄はその旨を伝えるよう、家臣の安藤彦六に命じ、謙信の陣所へ向かわせた。

--上杉方の陣所にて--

上杉謙信

なに用じゃ?

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安藤彦六

はっ!信玄公の意向をお伝えするため、馳せ参じました。

上杉謙信

申して見よ!

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安藤彦六

かくかくしかじか・・・・・

こうして彦六は信玄の組み討ちの決戦の意向を伝え、上杉方もこれを承知したのであった。

--翌11日午の刻--

武田方からは安藤彦六が組み討ち場に向かい、一方で上杉方からは小さな馬に乗った小男の武士がやってきて、そして叫んだ。

与五左衛門

上杉家の家老・斎藤下野守の家来、長谷川与五左衛門と申す!
安藤彦六殿との組み討ちをご覧あれ。加勢や助太刀をすれば、長く武門の恥辱となるであろう!

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こうして2人は戦いを開始すると、馬上で組み合いながら両者ともに重なった馬から落ちた。 はじめ彦六が上になって組んだところ、武田方からは歓声もあがったが、今度は与五左衛門が上になって組み伏せると、彦六の首を取って立ちあがり、これを高く持ち上げて叫んだ。

与五左衛門

ご覧あれ!長谷川与五左衛門、勝利したり!

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決着がついて上杉方からはどよめきが起き、武田方は無念に思い、討って出ようとした。しかし、これを見て信玄が制止して言った。

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信玄

鬼神のごとき彦六があんな小男に討たれたのは、われらの武運が尽きたのだ!
約束を果たさぬは武士の恥ゆえ、川中島はお渡しいたす。

そして、信玄は兵を引き上げ、川中島四郡は上杉氏の所領となったのである。

一騎討ちを評す者たち

--『朝野雑載』--

武田家が信玄亡き後の勝頼の時代に、諏訪越中守(諏訪頼豊)が言った。

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諏訪頼豊

川中島のとき、謙信は萌黄緞子(もえぎどんす)の胴着に白い布で頭を包み、三尺ほどの刀を持って月毛の馬で信玄のもとへ乗りかけ、刀身で三太刀までも切りつけた。
それに対し、信玄は刀に手すらかけずに軍配で謙信の強烈な太刀を受けた。その振る舞いは堂々としていて、威圧的なものであり、さすがは名だたる名将である。

このように信玄のことを称賛した。すると、今度は藤田能登守(藤田信吉)が言った。

藤田信吉

われらは上杉譜代の者だからその話は聞いている。
しかし、軍配で受けた信玄公を世間が名将とほめたことに対し、謙信公はケラケラと笑い「信玄もさぞかし、その時は太刀を抜きたかったろうが、わしのほうがたたみかけて打ってかかったから太刀を抜くヒマもなかったのだ。」と話しておられた。

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と言ったという。


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