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馬場信春

馬場信春(ばば のぶはる、1515?-1575年)は甲斐武田氏3代に仕えた重臣で武田四天王の一人に数えられる。

信玄の代に功を重ねていき、武田氏家老の馬場氏の名跡を与えられると、120騎の侍大将・譜代家老衆に抜擢。信濃国の深志城の城将、のちに牧之島城の城代を務め、武田重臣となった。
しかし、武田勝頼からは疎まれ、長篠の戦い(1575年)では織田・徳川連合との決戦時に撤退などを進言したが全く受け入れられず、結果的に大敗を喫したが、最期は主君を逃がすために殿軍を務めて討ち死にした。

経歴

信春は永正12年(1515年)に誕生したとされ、武川衆と呼ばれる甲斐北西部の地侍・教来石氏出身といい、はじめは教来石景政と名乗り、武田信虎時代から武田氏に仕えたという。

天文5年(1536年)に行なわれた武田信玄の初陣にもなった平賀源心の海ノ口城を攻めた際に従軍し、源心を討つ功を挙げたといわれている。

信玄に仕え、のちに大抜擢

天文10年(1541年)には信玄が父・信虎を追放しているが、信春はこのときの事前の追放計画に参加したといわれている。

天文11年(1542年)からの諏訪領への侵攻や、天文14年(1545年)の上伊那郡の高遠城への侵攻などに従軍して功を重ねると、翌天文15年(1546年)には断絶していた武田氏家老の馬場氏の名跡を相続し、このとき、同時に50騎持の侍大将となって "馬場信房" と改名したという。

弘治2年(1556年)には信濃国牧之島城代に抜擢され、越中・飛騨方面の外交交渉や海津城代の高坂昌信を側面から軍事支援する役割を担っていたとされる。
また、越中方面に直接軍勢を派遣することはなく、また、飛騨方面の軍事は実際には山県昌景が担当していたようであったことから、信玄の出陣の際には常に付き従ったとみられている。

その後も信春は戦功を重ねていき、永禄2年(1559年)には120騎持に加増され、譜代家老衆に名を連ねたという。

永禄4年(1561年)の上杉謙信との激闘となった第四次川中島の戦いでは、信玄から山本勘助とともに上杉軍撃滅の作戦立案を命じられ、兵を二手に分ける大規模な別働隊の編成を献策したといい、その別働隊の指揮を高坂昌信とともに務めている。

時期は不明だが、信春は足軽大将の原虎胤とともに深志城の城将を務めていた。こうしたことからか、永禄5年(1562年)にその虎胤が死没すると、信春は信玄の命によって虎胤が称していた "美濃守" の官位を引き継いだ

永禄11年(1568年)から信玄が外交方針を転換して今川領に攻め込んだ駿河侵攻に従軍すると、翌永禄12年(1569年)には北条攻めの退却戦である三増峠の戦いで先鋒を務めて功をあげた。

駿河・遠江へ侵攻したこの時期には各地に武田軍の戦略拠点が築かれたが、駿河国の江尻城(1570年)や田中城、遠江国の諏訪原城(1573年)や小山城(1571年)などは信春が縄張り・築城を手掛けたとされている。
『甲陽軍艦』によれば、こうした信春の築城術は信玄の命によって山本勘助から学ばせたという。

元亀3年(1572年)から行なわれた西上作戦では、信春は先鋒の一翼を担い、一隊の指揮を任されるほどの重臣とまでなった。

不死身の馬場美濃の最期

しかし、西上作戦の途上で信玄が死去すると、武田勝頼の代には重臣筆頭として補佐するも、勝頼から疎まれたという。

天正3年(1575年)の長篠の戦いでは決戦を望む勝頼にその無謀さを説き、撤退や策を進言したがすべて退けられた。
信春は17才の初陣以来、かすり傷一つ受けなかったといい、現代では "不死身の馬場美濃" と評されているほどの猛将であったが、この戦いの決戦で織田・徳川連合に大敗を喫した際に、勇敢にも殿軍を務めて時を稼ぎ、最期は追撃の織田軍と戦って討ち死にした。

略年表

  • 永正12年(1515年)、誕生
  • 天文5年(1536年)、武田信玄の初陣に従軍して功をたてる
  • 天文10年(1541年)、信玄による父・信虎追放計画に参加
  • 天文11年(1542年)からの諏訪領への侵攻に従軍
  • 天文15年(1546年)、武田氏家老の馬場氏の名跡を継ぐ。同時に50騎持の侍大将となって信房と改名
  • 天文11年(1542年)からの諏訪領への侵攻に従軍
  • 弘治2年(1556年)、信濃国・牧之島城の城代となる
  • 永禄2年(1559年)、120騎持に加増され、譜代家老衆となる
  • 永禄4年(1561年)、第四次川中島の戦いに参戦
  • 永禄5年(1562年)、美濃守の官位を与えられる
  • 永禄11年(1568年)、駿河侵攻に従軍、この頃に遠江国の江尻城築城を開始
  • 永禄12年(1569年)、三増峠の戦いで先鋒を務める
  • 元亀2年(1571年)、遠江国の小山城の築城を開始。縄張りを担当
  • 元亀3年(1572年)、一言坂の戦い、二俣城の戦い、三方ヶ原の戦いに続けて参戦
  • 天正元年(1573年)、遠江国の諏訪原城の築城を開始。普請奉行を務める
  • 天正3年(1575年)、長篠の戦いで討ち死に


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