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【名場面】信玄「わしは謙信を恐れたわけではない!」(1561年)

※『名将言行録』より

永禄4年(1561年)3月、上杉謙信が大挙して北条の小田原城を攻めてきた。いわゆる関東遠征の小田原城の戦いである。これに先立って城主・北条氏康は信玄に対して前年(1560年)に援助を求めていた。

ーーー 前年・軽井沢ーーー

謙信は越後から小田原に向かって軍を進め、関東諸将らを降して味方にし、軍勢を大きく膨らましていった。こうした中で北条から援軍要請を受けた信玄は兵を率いて軽井沢に陣を敷いた。

飯富虎昌

殿!ここは攻め時でございましょう。

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武田信玄

待て!わしに考えがある。

飯富虎昌

!?(なぜ攻めんのじゃ・・まさか謙信を恐れてのことか?)

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信玄は虎昌の進言を聞き入れないでいた。

ーーーーーーーーーー

謙信は信玄が向かってこなかったことにうぬぼれたのか、結局は小田原城を落とせずに鎌倉に向かい、関東管領就任式を行なった。この式で成田長泰が下馬をしなかったため、謙信は扇で長泰の烏帽子を打ち落として恥をかかせたという。

やがて謙信が越後へ戻った後、成田長泰は北条方に寝返り、上杉に新たに従属した他の関東諸将らもみな、ばらばらになってしまったという。

信玄はこうしたことを聞き、家中の者らに言った。

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武田信玄

わしは謙信を恐れていたのではない。わしが小田原の救援に向かうとなれば、謙信は兵10万の内、3万をわしに対する抑えとして残しておき、2万で小田原を攻めたならば小田原は落城し、わしの救援もなんの役にもたつまい。

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武田信玄

じゃが、北条が小田原に籠城し、わしも討ってでないとなれば、謙信はこれに乗じて自らの威を示すために大将らしからざることをしでかすであろう。さすれば新たに降った関東諸将らはみな、ばらばらになって不慮のことが起こるに違いまい。

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武田信玄

謙信の性格なぞ、鏡に写してみるより明らかなことじゃ。
だからわしは飯富の言うことを聞かず、先々のことを考えていた。わしはこの時節を待っておったのじゃ。

これに老臣をはじめ、誰もが感じ入らぬ者はなかったという。


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