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扇谷上杉や公卿の娘!?武田信玄の妻子を知る

信玄の妻子について、まずは以下に系図と一覧で示したのでざっくりみてみよう。

信玄の正室・側室は以下のとおりである。

  1. 上杉朝興の娘(正室、?-?年)
  2. 三条の方(継室、1521?-70年)
  3. 諏訪御料人(側室、1530?-55年)
  4. 油川夫人(側室、1528?-1571年)
  5. 禰津御寮人(側室、1527?-?年)

正室は扇谷上杉家当主・上杉朝興の娘であり、継室に三条の方。さらに側室には諏訪御料人、禰津御寮人、油川夫人などがいる。このほかにも正室・側室がいたとする説もあるが、史料で確認がとれているのは上記の5人だけである。

次に信玄の子どもたちは以下。

  1. 義信(嫡男、よしのぶ、1538-67年)
  2. 信親(二男、のぶちか、1541-82年)
  3. 信之(三男、のぶゆき、1543-53年?)
  4. 勝頼(四男、かつより、1546-82年)
  5. 盛信(五男、もりのぶ、1557?-82年)
  6. 信貞(六男、のぶさだ、?-1582年)
  7. 信清(七男、のぶきよ、1560?-1642年)
  8. 黄梅院【北条氏政室】(長女、こうばいいん、1543-69年)
  9. 見性院【穴山梅雪室】(二女、けんしょういん、?-1622年)
  10. 真理姫【木曽義昌室】(三女、まりひめ、1550-1647年)
  11. 菊姫【上杉景勝室】(五女、きくひめ、1558-1604年)
  12. 松姫(六女、まつひめ、1561-1616年)

信玄の妻子の事跡

さて、それでは次に妻子たちの事跡をそれぞれみていこう。

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上杉朝興の娘(正室)

信玄とは仲がよかったというが、結婚した翌年の出産のおり、難産で子とともに死去した。

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三条の方(継室)

信玄の長男・義信、二男・信親、三男・信之、長女・黄梅院の母。

  義信(嫡男、よしのぶ)
信玄の後継者のはずであったが、義信の傅役の飯富虎昌らの信玄暗殺計画に関わったとされ、甲府東光寺に幽閉されると、その2年後に死去した。

  信親(二男、のぶちか)
信濃小県郡の国衆・海野幸義の娘を娶り、海野家を継いで海野信親と称した。甲州征伐(1582年)では甲斐入明寺に匿われたが、その後自害、または処刑されたという。

  信之(三男、のぶゆき)
幼少期に武田一族の西保氏を継承して西保三郎と称したが、11歳で亡くなったという。

  黄梅院(長女、こうばいいん)
北条氏政の正室に嫁がれた。氏政との間に北条氏5代目当主・北条氏直を産んでいる。

  見性院(二女、けんしょういん)
穴山梅雪の正室に嫁がれた。


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諏訪御料人(側室)

信玄の後継者となった武田勝頼の母。

  勝頼(四男、かつより)
信玄亡き後、武田家の家督を継いだ甲斐武田家第20代当主。信玄の積極外交路線を受け継いだが、織田・徳川連合を相手に長篠の戦い(1575年)で大敗を喫すると、甲相同盟の破綻(1579年)で北条氏も敵に回し、最期は家臣らの相次ぐ離反も重なって自害を余儀なくされた。


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油川夫人(側室)

信玄の五男・盛信、六男・信貞、三女・真理姫(母は三条夫人説もあり)、五女・菊姫、六女・松姫の母。

  盛信(五男、もりのぶ)
信濃国安曇郡の国衆・仁科氏を継承して仁科盛信と称した。

  信貞(六男、のぶさだ)
駿河駿東郡領主・葛山氏元の養子となって葛山信貞と称した。

  真理姫(三女、まりひめ)
木曾義昌の正室に嫁がれた。信長による甲州征伐(1582年)で夫・義昌が信長に転じた際、義昌と離別して木曾山中で三男・義一とひっそり暮らしたという。

  菊姫(五女、きくひめ)
上杉景勝の正室に嫁がれた。

  松姫(六女、まつひめ)
武田と織田が同盟国であっころに信長の嫡男・織田信忠との婚約が成立したが、同盟解消にともなって婚約も解消となった。 武田滅亡後に松姫のもとへ織田信忠から迎えの使者が訪れたが、本能寺の変(1582年)で信忠が討ち死したために会うことはなかった。その後、出家して信松尼(しんしょうに)と称し、武田家と信忠の冥福を祈ったと伝わる。


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禰津御寮人(側室)

信玄の七男・信清の母。

  信清(七男、のぶきよ)
幼年のころに出家したが、勝頼の代には勝頼の命で還俗し、旧族・安田氏を継いで安田三郎信清と名乗った。武田滅亡後は姉・菊姫を頼って上杉氏に寄寓し、武田姓に復帰して長寿を全うした。


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