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【信玄連載】第16回:飛騨出兵と第五次川中島(1564年)

飛騨への進出

永禄7年(1564)、信濃国の経略がほぼ終わり、西上野の経略をすすめていた信玄であったが、同年6月には、飛騨国へも触手を伸ばしていった。
ここにライバル上杉謙信との対立は、信濃・関東に続き、飛騨にも及ぶことになる。

当時、飛騨国は南部を支配する桜洞城(岐阜県益田郡萩原町)の三木良頼と、広瀬高堂城(同吉城郡国府町)の広瀬宗城が対立しており、ここに高原諏訪城(吉城郡神岡町)の江馬時盛が広瀬宗城を支援し、子の輝盛は三木良頼に加担した。

同年6月、信玄は江馬時盛から援助要請を受け、飯富昌景(のちの山県昌景)・甘利昌忠・馬場信春の軍勢、そして木曾勢を飛騨へ派遣した。
飛騨の侵略をもくろんだ信玄だが、三木良頼に頼られた謙信が、越中の諸将らを派遣して援助させ、阻止にかかってきた。

つまり、対立構図は、武田方(広瀬宗城・江馬時盛)vs 上杉方(三木良頼・江馬輝盛)となったのである。結果、上杉方の江馬輝盛は投降している。

第五次川中島合戦

信玄が飛騨国に所領を持てば、やがてそれが越中国にも及び、越後国が背後を狙われる恐れがあった。謙信はそうした危機感から、信玄の飛騨出兵を牽制するため、再び川中島への出陣を決意する。
この6月に、謙信は越後彌彦神社に願文を納め、信玄の滅亡と信濃勢力の回復を祈り、関東・越中の平定を願っているのだ。

こうして、7月下旬に謙信が春日山を出陣し、第五次川中島の戦いとなる。以下、先に合戦の経過を時系列で記す。

  • 7月下旬:謙信が春日山を出陣して信濃へ向かう。
  • 7月29日:謙信が善光寺に着陣。
  • 8月1日:謙信、願文を更級八幡社(更埴市)に納めて信玄の撃滅を祈る。
  • 8月3日:謙信が犀川を渡って川中島に布陣。
  • 8月(日は不明):信玄も塩崎まで出陣。以降、対陣が60日に及ぶ。
  • 9月(日は不明):下野国佐野の佐野昌綱が再び北条方に寝返ったとの報が、謙信のもとに入る。
  • 10月1日:謙信が春日山城に戻る。

この戦いは長陣でありながら、両軍が衝突することはなかった。それはなぜであろうか?

謙信は、願文を掲げているように、信玄を見つけ出して一戦を遂げるつもりだった。しかし、既に川中島を掌握している信玄としては戦うメリットがなく、たくみに陣所をくらまして衝突を避けていたということである。
さすがの謙信も敵地で無理な攻撃をしかけることもできなかったようだ。

こうして5度にもわたる川中島の戦いは閉幕したのであった。

なお、この最後の川中島合戦のエピソードがあるので、紹介しておこう。

組み討ちによる川中島決着説

--『名将言行録』『川中島五度合戦次第』より--

永禄7年(1564年)8月、最後の川中島合戦のときのことである。

<a href='http://sengoku-his.com/shingen'>武田信玄</a>アイコン

信玄

むむう・・これまで12年もの間、謙信と戦ってきたがいまだ決着がつかん。
明日、互いに勇士を出して組み討ちさせ、勝った方が川中島を納めることにしよう。

こうして信玄はその旨を伝えるよう、家臣の安藤彦六に命じ、謙信の陣所へ向かわせた。

--上杉方の陣所にて--

上杉謙信

なに用じゃ?

上杉謙信アイコン
家臣アイコン

安藤彦六

はっ!信玄公の意向をお伝えするため、馳せ参じました。

上杉謙信

申して見よ!

上杉謙信アイコン
家臣アイコン

安藤彦六

かくかくしかじか・・・・・

こうして彦六は信玄の組み討ちの決戦の意向を伝え、上杉方もこれを承知したのであった。

--翌11日午の刻--

武田方からは安藤彦六が組み討ち場に向かい、一方で上杉方からは小さな馬に乗った小男の武士がやってきて、そして叫んだ。

与五左衛門

上杉家の家老・斎藤下野守の家来、長谷川与五左衛門と申す!
安藤彦六殿との組み討ちをご覧あれ。加勢や助太刀をすれば、長く武門の恥辱となるであろう!

家来アイコン

こうして2人は戦いを開始すると、馬上で組み合いながら両者ともに重なった馬から落ちた。 はじめ彦六が上になって組んだところ、武田方からは歓声もあがったが、今度は与五左衛門が上になって組み伏せると、彦六の首を取って立ちあがり、これを高く持ち上げて叫んだ。

与五左衛門

ご覧あれ!長谷川与五左衛門、勝利したり!

家来アイコン

決着がついて上杉方からはどよめきが起き、武田方は無念に思い、討って出ようとした。しかし、これを見て信玄が制止して言った。

武田信玄アイコン

信玄

鬼神のごとき彦六があんな小男に討たれたのは、われらの武運が尽きたのだ!
約束を果たさぬは武士の恥ゆえ、川中島はお渡しいたす。

そして、信玄は兵を引き上げ、川中島四郡は上杉氏の所領となったのである。


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