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本山氏を降し、安芸氏を滅ぼす(1563-69年)

本山氏を従属下に

永禄6年(1563)1月に、長宗我部氏や一条氏との戦いで疲弊した本山氏は、本拠にまで撤退したが、同年5月には長宗我部の本拠・岡豊へ攻め込んで挽回をはかっている。
このとき、本山方の放火により、一宮の土佐神社が本殿以外ほとんど焼失してしまったという。
なお、この頃より、本山氏当主の本山茂辰の発給文書が消えており、茂辰は出家して子の本山貞茂に家督を譲ったとみられている。

永禄7年(1564年)、本山氏は家臣らの寝返りを警戒し、ついに本拠・本山城をも放棄して瓜生野城に籠もった。なお、まもなくして茂辰が病死している。

元親は機をみて、すぐさま瓜生野まで軍を進め、攻めたてた。
すでに本山氏麾下の部将は長宗我部方に多く寝返り、本山氏を降すのはまもなくと思われたが、意外にも本山氏降伏までに実にあと4年も要すことになる。
その要因としては、「土佐七雄」の安芸氏、および一条氏の存在が大きかったようだ。

安芸氏と長宗我部氏との関係

当主の安芸国虎は一条兼定の娘を娶っており、一条氏と姻戚関係にあったことから、長宗我部と大きく対立してこなかった。しかし、長宗我部方が香美郡へも勢力を伸ばした中で小競り合いが起こるようになっていた。

こうした緊張関係から、前年(永禄6年)に安芸国虎が岡豊城へ攻め込み、岡豊城は一時陥落の危機に瀕したが、元親家臣・吉田重俊の援軍もあってなんとか撃退に成功している。その後は一条氏が介入して和睦となり、安芸氏との戦いはひとまず回避できた。

しかし、これによって元親は、安芸氏への備えとして香美郡方面での軍備強化などをすすめる必要が生じたのである。

一条氏と長宗我部氏との関係

一条氏は過去に長宗我部氏滅亡の危機を救っている。
長宗我部氏が本山氏らに岡豊城を奪われた際、元親の父・国親が一条氏の保護と支援を経て、お家再興を果たしたという経緯がある。

こうした繋がりから、永禄9年(1566)頃に一条氏が伊予国で西園寺氏・河野氏・毛利氏と対立すると、元親は翌永禄10年(1567)に伊予への出兵を要請されているのである。

本山氏との戦いに専念できなかったのは、上記のように安芸氏や一条氏との関係が影響したが、このほかに元親が土佐神社の再興を手掛けていたこと等も影響していたと考えられる。

元親、ついに本山氏を降す

こうした結果、本山氏を降伏させたのは永禄11年(1568)のことであった。

元親は降伏した貞茂が甥にあたることもあり、許して和睦し、親茂父子らを岡豊へ引きとっている。
以後、貞茂とその母は岡豊城下に居住し、貞茂は元親から一字を拝領して "親茂" と名乗り、長宗我部家臣の一員となるのであった。

ここにおいて本山氏の旧領は長宗我部氏の所領となり、元親は土佐四郡(長浜・香美・土佐・吾川)を支配するまでに至ったのである。

安芸氏を滅ぼす

本山氏を降伏させた元親であったが、今度は翌永禄12年(1569)に安芸氏と雌雄を決するときがきた。

安芸氏と和睦していた元親だが、決裂するに至った背景には以下のような説がある。

  • 『元親記』:香宗我部親泰を通して安芸国虎が元親に降伏を願い出たが、それを破ったために元親が安芸攻めを決断したとする説。
  • 『長元記』:安芸国虎と一条兼定が、元親居城の岡豊城を攻めてきたため、元親がそれを撃退後に反撃したとする説。
  • 『土佐物語』『土佐国古城伝承記』:元親が安芸氏との確執を取り除こうと、岡豊での会談を申し出たが、安芸国虎は"敵国での会談場所は降伏扱い" だとして怒って断交、元親の安芸攻めに繋がったとする説。

これらの真相は定かでないが、両者は決裂し、永禄12年7月、元親が安芸城へと攻め込んだのは確かである。

戦いの経過は『元親記』によれば、元親が7千余の軍勢を率いて出陣し、軍勢を二手に分けて攻撃したという。
国虎も支配下の土豪らに籠城を呼びかけ、5千余の軍勢で八流に陣を敷いたが、長宗我部軍が勝利をおさめ、敵方を安芸城まで退けたという。(八流の戦い)

その後、勢いに乗った長宗我部方は、敗走した敵方が籠もった新荘城・穴内城の2つの支城をまもなく陥落させ、そのまま安芸城に迫るが、このときに安芸氏の譜代家臣が次々と長宗我部方に転じたようだ。
敵方は安芸城に籠もって24日間抵抗したが、兵糧も尽き、一条氏の援軍もなかった。国虎は一条夫人を国許に返し、子の千寿丸を阿波国へ逃すという役目を終え、元親に降伏を願い出て、最期には家臣らの助命と引き換えに自害して果てたという。

こうして安芸氏は滅んだ。

元親はその後、残る安芸郡東部の安芸氏の諸城を攻略していき、安芸郡の抑えとして、安芸城には弟の香宗我部親泰を、新荘城・穴内城の2つの支城には吉田左衛門佐を配置するなどして岡豊へ帰国したのであった。


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