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【名場面】幸村、異例の首実検(1615年)

慶長20年(1615年)5月8日、豊臣氏が滅亡した同日に真田幸村の首実検が行なわれた。

これはその時の様子を伝える話である。
(『落穂集』『慶長見聞書』『真武内伝追加』ほか)

▼主な登場人物

  • 徳川家康アイコン

    徳川家康

  • 家来アイコン

    真田信尹


徳川方では、脅威の敵であった真田幸村の首実検が行なわれるということで、多くの徳川方の諸将が見物に訪れていた。

幸村は豊臣の将として大阪の陣で凄まじい戦いを繰り広げて、家康の前に立ちはだかり、本陣への突撃を敢行するなど家康を散々に苦しめた。最期は討ち死にして果てたが、その戦いぶりは徳川方からも感歎されるほどであった。

そのため、この首実検は注目されていたのである。

-- 慶長20年(1615年)5月8日 --
【場所は不明】

家康は幸村の首級を次の間(=主君のいる部屋の次の部屋)に持ち込ませると、幸村を討ち取った西尾仁左衛門にその首を確認させた。

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家康

西尾。どうじゃ?歯は欠けておるのか?

家康は幸村の歯が欠けていることを知っていたようである。

西尾

はっ!確かに向歯(=上顎の前歯)が欠けております!

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家康

うむ・・・・。

!!!
そうじゃ!真田信尹を呼べ!!

家康は念のため、幸村の叔父・真田信尹も呼び出して確認させようとした。

真田信尹

大御所様、お呼びでしょうか?

家来アイコン
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家康

うぬ。お主は2度も大阪で会っておるだろう。首を確認してみよ!

信尹は大阪の陣の最中、"幸村を味方に引き入れよ" との家康の命を受け、使者として2度も幸村の元へ訪れていたのだ。

そして信尹はその首を確認するが、一向に幸村がどうかの見分けがつかずに困惑した。

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家康

どうした?なぜわからんのじゃ?

真田信尹

はっ!それがしが左衛門(=幸村)と会ったときは夜でございました。また、そのとき彼は極めて用心していて近づようともせずに、遠くから話をしただけでしたゆえ・・・。

家来アイコン
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家康

・・・もうよい。さがれ!

このように首実検は念入りに進められたのであった。

--------

そして、最後に家康は・・・・

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家康

左衛門にあやかれよ。

と言い、幸村の頭髪を抜いて諸将らにとらせた。

そして、皆がその武勇にあやかりたいとして、彼の頭髪を抜いて持ち去る者が絶えなかったという。


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