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【名場面】主・幸村のいなくなった愛馬の行方(1615年)

大阪夏の陣(1615年)の天王寺の戦いで徳川の大軍と激闘の末、真田隊の指揮官・真田幸村は討ち死にした。

徳川方の榊原康勝はこの戦いで大損害を受けたが、すでに徳川と豊臣の勝敗は決しており、真田隊と味方の松平忠直隊の戦いがほとんど終息したのを見計らって使番・沼上八兵衛に様子をみてくるように命じた。

これはそのとき、沼上が幸村の愛馬と遭遇したときの話である
※『見聞随筆』ほか

▼主な登場人物

  • 家来アイコン

    沼上八兵衛


---慶長20年(1615年)5月7日---
【大阪城付近の戦場】

天王寺の戦いの決着がついた頃、沼上八兵衛は戦場の様子を見に馬をとばして進んでいくと、その途中で口取り(=馬の口をとって馬を押さえ込む者)に牽かれた芦毛の馬に出くわした。

その馬には六文銭の金具をあしらった黒鞍が据えられており、それは幸村の乗っていた愛馬であった。

家来アイコン

沼上八兵衛

おい!それは誰の馬だ?どこに牽いて行くつもりなのだ。

口取り

(しまった!徳川兵に見つかってしまった・・)

・・・これは真田幸村公の馬だが、幸村公は討ち死にしてしまった。だから城内に牽いて帰る途中なのだ。

家来アイコン
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沼上八兵衛

真田の馬だと?

ほほう・・。どれ、わしにその馬にまたがせてみよ。

口取り

!!!

家来アイコン

口取りはなんの抵抗もできず、沼上は幸村の愛馬をとてもいい馬だと思ってその上に乗った。そして、精悍な馬で乗り心地もよかったため、沼上は "さすが大将の騎乗していた馬だ" と感心した。

口取り

・・・この馬は幸村公に形見として信濃へ牽いて帰ってほしいと頼まれておるのだ。どうか返してくれぬか?

家来アイコン

そう口取りが言うと、沼上は素直に馬から降りた。

馬を無事に返してもらい、一安心した口取りは、沼上と別れて再び城のほうへ向かっていったが、一町(=約100m)ほど歩いたところで事件が起きた。

口取り

ぐぎゃあああーー!

家来アイコン

なんと、口取りは一人の武士にあっけなく殺されて首をとられてしまった。

沼上はこの一部始終を目撃していたが、あろうことかその武士は同じ榊原康勝隊の者だったのである。

---慶長20年(1615年)未明---

口取りを殺害した男はのちの手柄報告の際、この一件での首級も数に含めたことで50石の加増となった。

そして、その事を知った沼上はその男に問いただした。

家来アイコン

沼上八兵衛

なぜお主が加増に?

わしはお主が豊臣方の口取りを討ったのを見ていたが・・もしや・・

その男

ああん?ああ、あれね・・。

たいした者ではなかったが、首をとってこの者はなかなか手ごわい相手だったといって加増を勝ち取ったのじゃ!

ギャハハハ!

家来アイコン

と事の経緯を告白したのであった。

なお、幸村の愛馬がその後どうなったのかは史料に残されていない。


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