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【名場面】伊達隊と真田隊の攻防(1615年)

慶長20年(1615年)、大阪夏の陣における道明寺の戦いでは、真田幸村と伊達政宗の軍勢が激闘を繰り広げている。

これはその時の様子を伝える話である。
※『名将言行録』より

▼主な登場人物

  • 真田幸村アイコン

    真田幸村

  • 伊達政宗アイコン

    伊達政宗


---慶長20年(1615年)5月5日、朝---
【大阪城近く、道明寺付近】

真田隊の物見

申し上げます!! 旗が3~4本、兵が2~3万ほどこちらにやってまいりました。

家来アイコン

この報告の軍勢は伊達政宗の隊のことであった。

真田幸村アイコン

幸村

・・・そうであろうな。

真田隊の物見

???

家来アイコン

真田隊の兵たちはすぐにでも出陣するのだろうと鼻息を荒くしていたが、幸村はこの時、それ以上のことは何も言わなかった。

--------

そしてその日の正午ごろ、物見が再び幸村に報告した。

真田隊の物見

申し上げます!!今朝のとは旗の色が異なりますが、旗が2~3本と兵2万ほどが、はっきりとは見えませんでしたが竜田越を押し下りました。

家来アイコン

この報告の軍勢は徳川忠輝の隊のことであった。

真田幸村アイコン

幸村

そうか、いくらでも越させればよい。一か所に集めさせておいて、それを打ち破ったらさぞかし痛快であろうよ。

真田の兵らは幸村が一向に動かない様子をみて、はやり立つ気持ちもおさまった。
そして夕食をすませると、ようやく幸村は動き、その夜には道明寺表に陣を構えたのであった。

---翌5月6日、朝---
【道明寺】

真田隊に先立ち、渡辺糺隊が徳川の水野勝成隊と激闘を繰り広げた。しかし、渡辺糺は深手を負って幸村に遣いを出した。

渡辺糺の使者

伝令です。渡辺殿はただいまの戦で負傷し、再び戦うことができません。

"貴殿の兵のじゃまになるゆえ、脇に引いて側面を突くべく控えようと、そうすれば貴殿の力にもなれる" とのことでございます。

家来アイコン
真田幸村アイコン

幸村

承知いたした。では渡辺殿にお伝えくだされ。

"お働きはまことにお見事でございました。これから先はそれがしがお引き受けいたします。" と。

そう答えた後、幸村は兵を進めていくと、伊達政宗隊が迎撃してきた。

伊達の騎馬鉄砲隊

いまだ!撃てーーーい!

家来アイコン

これに幸村の先鋒隊は伊達の騎馬鉄砲隊の一斉射撃を受けて多くが死傷。戦場が瞬く間に広がった鉄砲の煙で一寸先もみえなくなるが、幸村がその中を駆けぬけてきて大声をあげた。

真田幸村アイコン

幸村

ここをふみこらえよ!たとえ片足でもここで引けば全軍まるつぶれだぞ!

こうして幸村が下知すると、真田の兵は皆、地に多く繁っている松原を楯にして、槍の柄を握りながら地に這いつくばり、後ろに退く者はいなかった。

やがて伊達の鉄砲隊が気勢をそがれたのか、砲声も少なくなり、煙も薄くなってきたところで、幸村が・・

真田幸村アイコン

幸村

かかれ!!

頃合いをみて号令をかけると、伏せていた真田兵が立ち上がって伊達隊の先鋒隊を槍で突いて、追い崩した。
これを機に真田隊は総攻撃をしかけて伊達隊を一気に追い払った。

こうした中、真田隊の側面攻撃を恐れて動けずにいた徳川方の別の隊・水野勝成は伊達政宗に真田隊を攻撃させようと申し出た。

伊達政宗

我が軍はすでに疲れ果てている。合戦は何も今日に限ったものではない

伊達政宗アイコン

政宗はそう答えて、これを拒否した。

これに対して水野勝成は、

水野勝成

小人数の敵を目の前にして、忠輝・政宗ともあろう者が縮みあがっているとは恥ではないか!

水野勝成アイコン

こう言って同じように徳川忠輝隊にも真田への攻撃要請をしたが、忠輝もまたそうすることができず、水野勝成自体も兵の少なさから動けず、結局引いてしまうこととなった。

幸村は午後2時ごろまで戦いを続け、その後は徐々に兵を引き上げたが、その粛然とした様子に徳川方の者は感歎しない者はいなかったという。


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