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真田一族ゆかりの地

真田関連の城(信濃国)

  • 1.松尾城
  • 2.真田氏本城
  • 3.砥石城
  • 4.上田城
  • 5.尾野山城
  • 6.丸子城
  • 7.岩尾城
  • 8.志賀城
  • 9.内山城
  • A.海津城
  • B.葛尾城
  • C.虚空蔵山城
  • D.小諸城
  • E.望月城
  • ※赤色マーカー=真田関連の城
  • ※青色マーカー=その他の城


真田氏本城

真田一族発祥の地である真田郷にある、真田一族の居城。

真田一族発祥の地である真田郷にあり、その規模や位置から真田氏本城跡と呼ばれ、上田城築城前の真田氏の居城であったと考えられている。

砥石城(といし)

真田郷に隣接し、"砥石崩れ"の舞台となった真田氏の外城。

真田幸隆が真田郷を追われた際、信濃豪族の村上義清の支配下となって大改築が行なわれた。武田家臣となった幸隆が、主君・武田信玄ですら"砥石崩れ"と呼ばれる大敗で落とせなかった同城を、調略によって陥落させている。

上田城

上田合戦の舞台となった昌幸の居城

真田昌幸が徳川軍を2度も撃退した上田合戦の舞台となった城。関ヶ原合戦(1600年)ののち、昌幸・幸村父子が高野山へ追放となると、徳川家によって取り壊され、堀も埋められた。


真田関連の城(上野国)

  • 1.鎌原城
  • 2.羽根尾城
  • 3.岩下城
  • 4.岩櫃城
  • 5.大戸城(手子丸城)
  • 6.嵩山城
  • 7.尻高城
  • 8.中山城
  • 9.名胡桃城
  • A.沼田城
  • B.阿曾城
  • C.白井城
  • D.松井田城
  • E.箕輪城
  • F.厩橋城
  • ※赤色マーカー=真田関連の城
  • ※青色マーカー=その他の城


岩櫃城

真田幸隆が奪取して以来、真田氏の沼田領攻略の重要拠点となった城

沼田領問題で真田氏と北条氏が敵対後、真田は北条氏邦らにたびたび攻められたがこれを凌いでいる。1614年(慶長19年)には徳川幕府の一国一城令によって廃城となった。

沼田城

沼田領問題の舞台となった城

天正壬午の乱(1582年)ののちに沼田領問題が発生すると、以後、真田と北条氏との間でたびたび争奪戦が繰り広げられた城。 秀吉による沼田裁定(1589年)では一旦北条氏のものとなったが、翌年の小田原征伐(1590年)で北条が滅亡すると、真田信幸に与えられた。

名胡桃城(なぐるみ)

北条滅亡のきっかけである名胡桃城奪取事件の舞台となった城

沼田城の目と鼻の先にあり、高台にあって沼田城を見渡せるという同城。秀吉による沼田裁定(1589年)の結果、北条氏が真田から同城を奪い取るという名胡桃城奪取事件(1589年)が起き、これがきっかけで小田原征伐(1590年)が引き起こされ、北条は滅亡した。


真田庵

昌幸・幸村父子が九度山蟄居となった際に暮らした屋敷跡

※出所:by KENPEI(2008/11/22)-善名称院 / CC-BY-SA 3.0 Adapted.)

真田庵は「善名称院(ぜんみょうしょういん)」といい、真田昌幸・幸村父子が九度山蟄居の際に暮らしていた屋敷跡と伝わる場所(諸説あり)に、1741年(寛保元年)に大安上人によって創建されたお寺であり、和歌山県の史跡にも指定されている。

六文銭の紋が刻まれた門を進む先に本堂があり、本尊には地蔵菩薩、そして境内には開山堂・土砂堂・真田宝物資料館・真田昌幸の墓・与謝蕪村の句碑などがある。

真田宝物資料館

真田庵の境内にある土蔵作りの資料館。真田昌幸・幸村父子の九度山蟄居の生活をテーマに、幸村が愛用したとされる槍先・鎧・兜などの武具や書状、肖像画、また、当時の真田家の生活を支えた真田紐や高野紙製造用具などが展示。その他、大安上人に関するものも展示されている。

  • 入館料:200円(要予約:団体でご住職の案内を希望される場合300円)
  • 開館時間:午前9時~午後4時(年末年始以外無休)

真田地主大権現

真田家の宝物である毘沙門天と真田三代の御霊が合祀されている。

あるとき、忿怒の相をした真田昌幸の神霊が現れたため、大安上人は昌幸の霊をこの地の大権現の神様として崇めたところ、再び昌幸の霊が現れ、この地の主として永くこの場所を守ると約束したと伝わっている。その場所がこの真田地主大権現。

真田古墳

「真田の抜け穴」と伝わる九度山脱出時の抜け道。

※出所:by 小倉商事(2015/5/20)-善名称院 / CC-BY-SA 4.0 Adapted.)

真田庵の東約170mに、昔から地元の人々に「真田の抜け穴」と伝わる穴がある。この穴の向こうは大坂城に続いており、かつての真田幸村が大阪の陣の際にこの抜け穴を使って脱出したという伝説があったが、実際は古墳時代後期(4世紀頃)の古墳であることが判明している。しかし、真田の伝説が残る場所として真田古墳と名付けられている。


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