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小松姫(稲姫):真田信之に嫁いだ徳川家臣・本多忠勝の娘

小松姫(こまつひめ、1573-1620年)は徳川重臣・本多忠勝の娘。豊臣政権下において真田信幸の正室に嫁いでいる。


経歴

家康(一説に秀忠)の養女として真田信幸の正室となったが、その時期は以下のように諸説あって定かではないが、歴史研究家の間では1587年(天正15年)以降であることを有力視している。

  1. 天正壬午の乱で昌幸が家康に従属した1582年(天正10年)、または、1583年(天正11年)
  2. 家康が秀吉に降った1586年(天正14年)
  3. 昌幸が上洛して正式に豊臣政権に服属し、家康の与力大名となった1587年(天正15年)以降

豊臣政権下では秀吉が1589年(天正17年)から諸大名の妻子を聚楽第、伏見城、大坂城の城下に建設された武家屋敷に住まわせたが、これに従い、小松姫も信幸の屋敷に移ったとみられている。

関ヶ原合戦(1600年)の直前には、犬伏の別れ(1600年)で信之と決別し、石田三成に与する決断をした昌幸・幸村父子が下野から信濃・上田城への帰路の途中、信幸が留守中の沼田城に立ち寄って占領を謀った。このとき小松姫は夫の敵となった昌幸を一喝して入城を退けたといい、これに対して昌幸が孫の顔をみたいのみの旨を告げると、子供を連れて昌幸に引き合わせてから退去させたという。
ただ、この時期は小松姫は大阪の真田屋敷にいて石田方の大谷吉継に保護されていたため、事実ではないという見方もある。

関ヶ原後に夫・信幸は信之と改名した。信之との間には次男・信政、三男・信重の2人の子をもうけている。1620年(元和6年)に体調を崩し、信之より先に死没した。


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