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【名場面】真田、上田城で徳川に2度目の勝利!(1600年)

1600年(慶長5年7月)、上杉討伐に向けて江戸にいた家康は石田三成の挙兵を知って、西へ向かった。家康は軍を二手に分け、自ら率いる3万もの軍は東海道を、秀忠率いる3万8千もの軍は中山道を通って西上し、決戦の地で合流する作戦をとった。

秀忠の軍には信幸が加わっており、慶長同年9月2日には小諸城に入り、信濃国上田城までせまってきていた。

▼主な登場人物

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    本多正信


-- 慶長同年9月2日 --
【信濃国・上田城】

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昌幸

内府(=家康)め、やはり信幸をこちらに向かわせたか。総勢3万8千で総大将は秀忠か・・。
こちらは2500だが分は地の利を知る我らにある!

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幸村

父上。ではわたしは砥石城へ行って参ります。

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昌幸

うむ。源次郎(=幸村)頼んだぞ!

-- 9月3日 --

昌幸は信幸に使者を送り、剃髪して降参する旨を伝えた。これに信幸と秀忠は・・

信幸

こ、これは!!・・・・。
つい先日に石田殿に付いたというのに、父上は一体なにを考えておられるのか・・。

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秀忠

そうか!安房守(=昌幸のこと)め、徳川の大軍に恐れをなして降参するというか!
それは愉快じゃ!がはははは!
ではただちに使者を派遣し、上田城を明け渡せば赦免することを伝えよ!

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こうして喜んだ秀忠は上田城の昌幸のもとに使者を送り、上田城の開城を迫ったのであった。

秀忠の使者

真田殿、秀忠様からの伝令を申し上げます。上田城を明け渡せば赦免するとのことでございまする。無益な争いは避けたいとのことなのでどうか降伏をしていただきたいと存じまする。

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昌幸

そうですなあ。承知いたしました。ただ、開城の準備もあるので少々待ってくださらぬかのう。

-- 9月4日 --

秀忠の使者

真田殿、準備は整われましたか?

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昌幸

そうですなあ。

・・・・・。

おおよそ籠城の準備が整いましたので先日の件はお断りいたしまする。
フフフ。秀忠にそう伝えて参るがよいわ!

秀忠の使者

!!!?

・・・・ぐぬぬっ!!

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そして、使者からの伝令を受けた秀忠は・・・

秀忠

なにぃ!?

おのれ~たぶらかしおって!安房守の奴め、断じてゆるさんぞ!!
ただちに真田征伐じゃあ~~!!

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-- 9月5日 --

砥石城に入った幸村は、砥石城攻略を指示された兄・信幸率いる徳川の先鋒隊と激突した。 幸村は徳川軍に小当たりしつつ、砥石城を捨てて上田城へ向かった。
こうして砥石城を占領した徳川軍は次に上田城へ向けて進軍をはじめ、 幸村は徳川軍を誘いこむ形でそのまま上田城内に入った。

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幸村

こちらにまっすぐに追ってきたようだな。思惑どうりだ!

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昌幸

源次郎、上出来じゃ。城の外を見てみろ!

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幸村

徳川軍は我らが呼吸を乱れさせていることに気付いておりませぬな。

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昌幸

そうじゃ!

しかし、徳川軍には信幸がついておる。油断は禁物じゃ!

-- 9月6日 --

秀忠は上田城を一望できる染屋原に本陣を置いて上田城攻めに着手する。

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幸村

はい。ん?父上!城の外をご覧くだされ。徳川の陣が見えますぞ!

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昌幸

フフフ。源次郎。そろそろ参ろうかのう。

昌幸と幸村は秀忠を挑発するために物見に向かった。

徳川家臣

秀忠様!申し上げます!真田父子が50騎ばかりのみでこの陣の手前まで物見に現れております!!

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秀忠

なに!?このわしを物見にだと!!なめおってからに~!!

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本多正信

若様、あまり血気にはやるのは禁物でございますぞ。

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秀忠

だまれ!天下の徳川が真田ごときに引き下がってられるか!
鉄砲隊よ!撃てーーい!

奴らを逃さずに討ち取るのじゃーー!!

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昌幸

フフフ。源次郎。そろそろ城へ戻ろうかのう。

この瞬間に徳川軍は真田の戦略にまんまとはめられたのである。

昌幸は小さな盆地が密集する信州の地形を活かし、伏兵を要所に配置していたのだ。

そして、進軍する徳川軍に対していっせいに襲いかかり、激闘となって城に撤退していた真田父子も出陣した。

混乱に陥った徳川軍が敗走をはじめると、昌幸は事前にせきとめていた神川のせきを一気に切らせ、 敗走する徳川兵の多数はその濁流に飲み込まれて溺死していったのであった。

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昌幸

これで秀忠は三成との決戦に間に合うまい。

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幸村

父上、主力の秀忠軍なしでは内府もどうしようもないでしょうな。

(・・・わが父ながら、なんて恐ろしい人だ)

徳川軍は次々と要所から現れる真田の伏兵の攻撃に退却せざるを得ないのであった。

-- 9月7日 --

秀忠

おのれ~真田め!一矢報いねば武士の面目がたたぬ!かくなる上は・・

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本多正信

若様!もはや猶予はありませぬぞ!!
急ぎ西へ向かわねば天下分け目の合戦に間に合いませぬ!!

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秀忠

!!!

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本多正信

・・・もう真田にかまっている場合ではございませぬ。

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秀忠

・・・・・・。

(あああ~そうであった~。)

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こうして秀忠は真田討伐を断念し、関ヶ原の本戦に向けて進軍していったが、関ヶ原の本戦の勝敗が決した9月15日に間に合わず、その5日後にようやく家康のもとに到着するのであった。


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