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真田昌幸の名言・逸話まとめ

昌幸と武田信玄

  • 信玄直伝の軍略

    昌幸は信玄に幼少期から仕え、信玄全盛期の軍略や外交を見て模範にしていたとされている(『真武内伝』)

  • 信玄を崇拝

    昌幸は信玄を敬愛し、絶対の忠誠を誓っていた。1585年(天正13年)には信玄の墓所を自領である真田郷内に再興しようとするほどであった。

昌幸と秀吉

  • 表裏比興の者

    秀吉はなかなか上洛しない昌幸に対し、「表裏比興の者」と評している。

九度山

  • 悔し涙

    関ヶ原(1600年)の敗退によって昌幸は死罪は免れたものの、幸村とともに高野山追放となった。昌幸は長男・信之と別れる際、「それにしてもまあ悔しい限りじゃ。内府(=家康)こそ、このような目にあわせてやろうと思ったのに・・」と言って悔し涙をはらはらと流したという(『長国寺殿御事蹟稿』)。

  • 真田紐

    九度山での生活は借金をして国元に金銭を催促するほど貧しかったため、昌幸父子は生計をたてるために "真田紐" という木綿の紐を作ったという。

死後もなお・・

  • 昌幸の葬儀

    昌幸の葬儀に関して、信之が家康の側近・本多正信に尋ねたが、正信は昌幸は重罪人であるから幕府の意向を確かめてから対応するようにと忠告したという。

  • 家康を震撼させた

    徳川家康は大坂冬の陣(1614年)において真田が大坂城に入城した知らせを受けると「親の方か?子の方か?」訊ねたという。
    これは家康が「謀将」昌幸の病死を半ば疑っていたことを示唆しており、そのときの家康の手はがたがた震えていたという。実際は昌幸ではなく、当時は無名の信繁(真田幸村)と知って安堵したとも伝わっている。


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