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幸村初陣の新たな説とは?

幸村の初陣はこれまで豊臣政権下での秀吉による小田原征伐(1590年)とされてきた。しかし、最近になって真田家が徳川家と初めて戦った第一次上田合戦(1585年)という新たな説が浮上したのである。

現在放送されているNHK大河 "真田丸" でも新しい説を採用している。実際のところ、史実が一体どちらなのかは現段階で明らかにされていないが、ここではそれぞれの説とその根拠がどのようなものなのかをみていく。

小田原征伐(通説)

まずは通説の小田原征伐(1590年)であるが、この戦いで真田軍は碓氷峠を越えて北条家臣・大道寺政繁が城代を務める松井田城を目指し、碓氷峠、および、松井田城で真田軍と大道寺軍と交戦している。このときに幸村は兄・信幸とともに戦って初陣を果たしたという。

その根拠としては『滋野世紀』『長国寺殿御事蹟稿』などの後世の編纂物で見る限り、幸村出陣の初見であり、初陣であったことも記されているからである。

歴史学者の"平山優"氏は、真田家の編纂物『真武内伝』には信幸のみで、幸村が参戦した記録はないといい、また、幸村が昌幸や信幸と同陣していたという記録の残る史料も今のところ見当たらないとしている。
ただし、小田原征伐の後、幸村は家臣・安中平三に軍役奉公を務めたことを賞していることから、幸村が小田原征伐でなんらかの軍事行動をしていたことを示している、とも指摘している。

結局のところ、小田原征伐での幸村の初陣の可能性はあるものの、確証はないということのようである。

第一次上田合戦(新説)

ではもう一方の新しい説、第一次上田合戦(1585年)の説はどのようなものなのだろうか?

『真武内伝』『古今沼田記』『沼田記』『信州上田軍記』『武徳編年集成』『朝野旧聞褒藁』には前線に出陣したとも、上田城内に残っていたとも記録され、一方で『三河物語』『室賀満俊覚書』には記録がないという。

ただ、第一次上田合戦時は幸村は上杉の人質の立場なので、参戦はありえないという見方であった。

しかし、もし真田家が幸村の代わりに他の人質をたてていたとしたら?

・・・実は翌1586年に幸村の母・山手殿が上杉方の支城・海津城に在城しているという事実があったのだ。山手殿が幸村に代わる人質としたと考えるなら、幸村は第一次上田合戦に上杉援軍とともに上田城に馳せ参じることが可能になるのである。

こうした見解を歴史研究家の"寺島隆史"氏が指摘しており、前出の平山氏もこれを支持している。


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