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"幸村"という名は創作か?

幸村に関する名のギモン

幸村は幼名を"弁丸"、元服後に"源次郎信繁"、豊臣政権下で任官して"真田左衛門佐信繁"、九度山での蟄居生活時に入道号 "紅白"と称している。

幸村の実名は"信繁"であり、確実な史料で確認できている一方、"幸村"の文字は今のところ確認できていない。

幸村の名は創作なのか?

"幸村"の文字は江戸時代の軍記物『難波戦記』(1672年成立)に記されてから世間に広く知れ渡ったといい、以後に真田系譜類にまで”幸村”が記されるようになった。

では"幸村"という名は創作かというと、そうとも言い切れず、実は今だにはっきりとしていないようである。
『滋野通記』によると、兄・信之が「信繁は大阪の陣で戦死する直前に幸村に改名した」と語ったとあり、また、『真武内伝附録』には戦死する5日前の幸村書状が収録されているという。こうしたことから信繁は戦死直前に"幸村"という名に改名したという見方があるのだ。

しかし、NHK大河「真田丸」の時代考証担当者で歴史学者の"丸島和洋"氏・"平山優"氏はともにこれを創作とみる。その理由は『真武内伝附録』の幸村書状にある花押が異質であることから、偽の文書だと判断しているようである。

兄が源三郎なのに弟の幸村がなぜ "源次郎"?

幸村が"源次郎"という仮名(=通称のこと)に対して、なぜか兄・信幸は”源三郎”となっている。逆であれば納得できるが一体どういうことなのか?

『大鋒院殿御事蹟稿』によると、”源太”というのは真田家では不吉であるためとしている。
嫡男が名乗る仮名というのは家毎で決められており、真田家の場合、昌幸の長兄・信綱が”源太郎”であった。しかし、信綱は長篠の戦いで討ち死にしているため、これを不吉としたということである。

また、"源次郎"という仮名は昌幸の弟・信尹と同じものであったため、嫡男に与えるにはふさわしくないとして、次男の幸村に付けられたのだと・・・。

ちなみに昌幸は"源五郎"。・・・なんともまぎらわしい事である。


  主な参考文献(平山優、丸島和洋、小林計一郎など)

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