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幸村が秀吉の人質になったのはいつ?

幸村はいつから秀吉の人質になったのだろうか?

その時期は以下のように諸説あって定かではない。

  1. 1585年(天正13年)説(『武徳編年集成』ほか)
  2. 1586年(天正14年)説
  3. 1589年(天正17年)説(『藩翰譜』ほか)

この件について、平山優氏が詳細に触れているのでみていきたい。

平山氏は上記2の1586年(天正14年)説が根強いというが、同氏の推察では上記のいずれでもない1587年(天正15年)説としているのでその根拠を以下に追ってみる。

まず、上記1の1585年(天正13年)説であるが、この年は真田昌幸が上杉景勝に臣従して家康と第一次上田合戦を繰り広げており、その後、昌幸は家康を牽制するために秀吉に接近し、支援の確約を得ている。

しかし、同年に秀吉が小笠原貞慶に宛てた書状(『新修徳川家康文書の研究』)では、昌幸が未だ人質を出していない旨を述べているから、これは成り立たない。

次に上記2の1586年(天正14年)説だが、この年は昌幸が秀吉の上洛要請に応じなかったことで秀吉を怒らせている。これは幸村を人質として提出していないことに他ならない。

最後に上記3の1589年(天正17年)説であるが、この年は真田家が正式に秀吉に従属して2年過ぎている。つまり、秀吉に臣従したにもかかわらず、真田は2年間も人質を提出していないということになるから妥当ではない。

以上がいずれの説もあてはまらないとする平山氏の見解である。

そして1587年(天正15年)が妥当とするのは、昌幸が上洛して正式に臣従し、真田氏が豊臣大名となった時期であるからとしている。

・・・なにか異論を挟みたいところではあるが、その隙が全く見当たらない。


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