家康在城17年!出世城とも呼ばれた、遠江「浜松城」の歴史について

帯刀コロク
 2021/03/22

浜松城
浜松城

出陣前には「三献の儀」といって、打ちあわび・かち栗・昆布を肴に酒を酌み交わすという儀式がありました。これは「戦に打ち勝ってよろこぶ」という願いを込めたもので、武士たちが験担ぎをとても大事にしたことがよくわかります。

現代風にジンクスとも言い換えられますが、「この城の主になると出世する」といわれる縁起のいい城があります。

それは遠江「浜松城」。戦国から近世を通じて、浜松城主の経験者が大出世していることにあやかったジンクスですが、徳川家康が17年間在城したことでも有名です。

今回はそんな浜松城の歴史についてみてみることにしましょう!

浜松城とは

浜松城は現在の静岡県浜松市中区に所在した平山城です。 三方原台地南東端の河岸段丘上に築かれ、南北約510メートル・東西約500メートルの城域をもっていました。

城の北側には切り立った崖と低湿地が広がり、東側から南側にかけては水堀が巡るという強固な防御能力を有しています。

標高約40メートルの天守曲輪を頂点とし、東側に向けて本丸・二の丸・三の丸が階段状に設けられていたことから梯郭式平山城と分類されることもあります。

浜松城の位置。他の城名は地図を拡大していくと表示されます。

浜松城の前身となったのは今川氏家臣・飯尾賢連が城主を務めたとされる曳馬(引馬・引間)城で、永正11(1514)年頃の築城と考えられています。

この曳馬城には天文20(1551)年、少年時代の豊臣秀吉が主家・松下氏に随行して訪問したことが記録されています。

現在の浜松城はこの曳馬城を取り込む形で築城されたもので、永禄11(1568)年に家康が当城を攻略、 元亀元(1570)年の城普請で浜松城へと改称したことに始まります。家康は同年、上杉輝虎に宛てて太刀とともに浜松城の図を贈っています。

元亀2(1571)年には家康長男・信康の元服式が行われ、観世宗雪らを招いての能興行を開催するなど、徳川氏の拠点的城郭としての存在感をもっていました。

天正14(1586)年に家康は駿府城へとその拠点を移し、天正18(1590)年には堀尾吉晴が城主の座につき、大規模な改修を行いました。

浜松城の天守は、この堀尾氏統治時代に築かれたと考えられています。

慶長6(1601)年には徳川連枝の松平忠頼が城主に就任。以降、松平氏をはじめとした名だたる大名が城主となっています。

慶長14(1609)年頃には紀州徳川家の初代・徳川頼信の付家老となった水野重仲が、元和5(1619)年にはのちに肥前国島原藩初代藩主となる高力忠房が城主となっています。

近世を通じて特筆すべき城主としては文化14(1817)年に就任した水野忠邦でしょう。彼は地方勤務から幕閣として抜擢され、最終的には老中にまで昇りつめたことが知られています。

このように、浜松城主経験者には幕府中枢の役職者へと昇進した人物がいることから出世城とも呼ばれています。

明治2(1869)年、浜松藩領は駿府藩へと組み込まれ、明治5(1872)年には城の払い下げが決定されます。

昭和25(1950)年に浜松城址が浜松城公園へと姿を変え、昭和33(1958)年には復興天守を建築。翌昭和34(1959)年に市の史跡に指定されています。

平成26(2014)年には天守門が復元され、平成29(2017)年に日本100名城のひとつに選定されました。

まとめ・略年表

家康が17年間という長い時を過ごした浜松城は、城主を出世させるというめでたいジンクスをもった城として愛されています。

お城巡りにもそんな験担ぎと願いを込めてみるのも、また一興ではないでしょうか!

※参考:略年表
永正11年
(1514年)頃
今川氏家臣・飯尾賢連が浜松城前身の曳馬(引馬・引間)城主に(推定)
天文20年
(1551年)
少年時代の秀吉が、主家・松下氏に随行して曳馬城を訪問
永禄8年
(1565年)
曳馬城が今川氏の攻囲を受けるが、陥落せず
永禄11年
(1568年)
家康が曳馬城を攻撃、陥落
元亀元年
(1570年)
徳川家康が曳馬城を取り込む形で城普請、浜松城と改称
同 年家康が上杉輝虎に太刀と浜松城図を贈呈
元亀2年
(1571年)
家康長男・信康の元服式に観世宗雪らを招き能興行開催
元亀3年
(1573年)
三方ヶ原の戦いで家康軍が浜松城から出陣
天正5~9年
(1577~81年)
浜松普請と呼ばれる浜松城の増改築を実施
天正14年
(1586年)
家康が駿府城へ移転、土岐定政が浜松城番に
天正18年
(1590年)
堀尾吉晴が浜松城主に、大規模改築を実施
慶長6年
(1601年)
松平忠頼が城主に
慶長14年
(1609年)頃
徳川頼宜付家老・水野重仲が城主に
元和5年
(1619年)
高力忠房が城主に
寛永15年
(1638年)
松平乗寿が城主に
正保元年
(1644年)
太田資宗が城主に
延宝6年
(1678年)
青山宗俊が城主に
延宝8年
(1680年)
強風と大雨で浜松城各所に被害
貞享4年
(1687年)
松平資俊が城主に
享保14年
(1729年)
松平信祝が城主に
寛延2年
(1749年)
松平資訓が城主に
宝暦8年
(1758年)
井上正経が城主に
文化14年
(1817年)
水野忠邦が城主に
弘化2年
(1845年)
井上正春が城主に
明治2年
(1869年)
浜松藩領が駿府藩に組み込まれる
明治5年
(1872年)
浜松城の払い下げが決定
昭和25年
(1950年)
浜松城址が浜松城公園に
昭和33年
(1958年)
復興天守を建築
昭和34年
(1959年)
浜松市の史跡に指定
平成26年
(2014年)
天守門を復元
平成29年
(2017年)
日本100名城に選定

【主な参考文献】
  • 『日本歴史地名体系』(ジャパンナレッジ版) 平凡社
  • 『国史大辞典』(ジャパンナレッジ版) 吉川弘文館
  • 浜松城公園HP

  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術に ...


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