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「細川忠興」ガラシャの夫は "短気で天下一" というほど苛烈!?

細川忠興の肖像画
細川忠興は名だたる天下人に仕えた文化人・細川藤孝の子として知られている。あの明智光秀の娘で有名な細川ガラシャの夫でもあり、相当変わった人物とも言われている。

忠興の父、藤孝

勇壮な武者にして雅な文化人でもあった細川忠興について語る前に、父・細川藤孝について少し触れておこう。
藤孝はかつて幕臣として13代将軍足利義輝に仕え、15代将軍の足利義昭の擁立にも尽力。 しかし、織田信長と将軍義昭の対立後は、信長に従ってその下で功績を重ねていった。天正3年(1575年)の黒井城での戦いや天正5年(1577年)信貴山城の戦いなど、息子の舅となる明智光秀と戦列を並べたこともある。

信長が本能寺の変にて死亡した後は、家督を忠興に譲り渡し、自らは "幽斎" と名乗って隠居。これには光秀の不義に対する明確な反意があった。しかし、優秀な大名であり文化人でもあった彼は、光秀を討って天下人となった豊臣秀吉の時代においても重用されることになる。それは秀吉が千利休をはじめとする雅な文化をこよなく愛し、それに近しい者を厚遇していたからである。

その秀吉が病没して関ヶ原決戦が迫ると、藤孝は秀吉時代から懇意にしていた徳川家康に近付いた。いざ合戦になると、東軍に加担して息子・忠興を関ヶ原に送り出し、自身も籠城戦を繰り広げている。この時の藤孝はすでに66歳。老いてなお盛んであったのだろう。
関ヶ原の戦いが終わると、忠興は破格の俸禄を得て徳川家の大名となり、藤孝はそれに帰属する形で寄り添った。彼は天寿を全うするまで悠々自適の生活を送っていたという。天下人三人に次々と仕えた慧眼、手腕、どれをとっても超一流の武将であったことは疑いようがないだろう。

情深きゆえに非情に見えた忠興

さて、藤孝の息子・細川忠興の話に移ろう。彼は信長の下で初陣を迎えた武芸者で、非情に気が短いとされている。

若きみそらに明智光秀から「投降する者を無闇矢鱈に殺してはならぬ」と諫められ、また細川ガラシャと結婚した後にもガラシャの侍女の些細なミスを見咎めて鼻耳を削ぎ落したとも伝わっている。また、大阪の役の際には、豊臣方に与した二男・興秋に戦後自害させたほどの気の短さゆえに、細川忠利ら他の息子たちさえも恐れていたというから驚きである。

しかし、彼もまた勇将・細川藤孝の息子である。天正10年(1582年)の本能寺の変の際には、父藤孝と共に明智光秀の不義に反意を見せ、また自分の愛妻であった細川ガラシャを幽閉した。これは光秀にとって痛恨であると同時に、秀吉にとって明確な恭順のサインでもあった。それをすぐさま行える決断力や采配はやはり父親譲りのものであろう。

また彼は、慶長5年(1600年)の関ヶ原においても、いち早く家康の東軍に恭順のサインを見せ、結果として徳川幕府下にて約40万石の大封を受けた。これらの事例から察するに、この狡猾さ、そして抜け目のなさが細川家を大大名たらしめる所以なのだろう。

これだけの偉大な武将でありながらも、その苛烈な性格から多くの者に恐れられた忠興だった。しかし妻ガラシャには過剰なまでの愛情を注いだという。先述した光秀への反意を明確なものにするためのガラシャの幽閉だが、これにはガラシャに危害が及ばぬよう、という配慮があったという説がある。自身の手の届くところへ置いておきたかったというのもあるだろうが、彼は自分のせいで愛する妻が傷つくことを由としなかったのではないだろうか。また、彼は当初こそガラシャのキリスト教入信に難色を示し、弾圧にも積極的に関わっていたが、弟興元の入信をきっかけに、キリスト教に寛容になり、伴天連追放令に対し疑心を抱くなど、真に非情な人間でなかったこともまた明らかなのだ。

稀代の名称一家、細川家は、忠興の代にてその隆盛を極め、後の世に長く続いていくことになるが、忠興が荒くれもので野暮天であったなら、恐らく後世に名を残してはいなかっただろう。

文化人だった忠興

最後に、忠興の文化人としての顔も紹介しておこう。彼は利休七哲の中でも千利休が最も寵愛したとされる高弟であり、利休が切腹を命じられた際にも見舞いに駆けつけている。豊臣秀吉はこの時、切腹する者の関係者もただでは置かないという、半ば狂気に呑まれていたにも拘わらず、細川忠興はこの行動を取った。それほど利休からの寵愛に恩を感じていたのだ。

茶のみならず、絵画や医学にも造詣が深かったとされ、食による健康の構築を認知していた。偏食がちな当時の大名の中では珍しく、バランスの良い食事を心がけていたのだ。自分の用いる武具にも拘りがあったらしく、こういった性格とは裏腹なまめであった一面もまた、細川忠興という武将の魅力のひとつかも知れない。





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