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【家紋・家系図】豊臣秀吉の家系図とともに、父母兄弟や妻子も丸ごと解説!

秀吉の家紋

秀吉の家紋(太閤桐)
太閤桐(たいこうぎり)

秀吉の桐紋は元々、信長や足利義昭から賜ったものという。太閤桐とは遺物に残っているいくつかの秀吉の桐紋のうち、通常のものを大きくデフォルメして総称したものだといい、決まった形もないという。


秀吉の家系図

秀吉の父母・兄弟姉妹

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木下弥右衛門(きのした やえもん)

秀吉の父。出自は百姓、織田家の足軽・雑兵、針売り商人など、多くの説があって定かではない。
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仲(なか)

秀吉の母。のちの大政所(おおまんどころ)。美濃の鍛冶・関兼貞(関兼員)の娘ともいう。
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智(とも)

秀吉の同母姉。のちの日秀尼(にっしゅうに)。2代目関白となった秀次の母でもあり、文禄4年(1595年)の秀次切腹事件では難を逃れたが、孫(秀次の遺児)のほとんどが秀吉によって処刑された。
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豊臣秀長

秀吉の異母弟。秀吉の片腕として天下統一をサポートする大きな存在だったが、小田原征伐の翌天正19年(1591年)に病没した。
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旭姫(あさひひめ)

秀吉の異母妹。秀吉が家康を懐柔する際に家康のもとに嫁いでおり、政略結婚の道具として利用された。

秀吉の妻子

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おね

秀吉の正室。のちの北政所。秀吉とおねは戦国時代には珍しい恋愛結婚であった。2人の間には子が産まれなかったため、7人の養子を迎えている。
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茶々

秀吉の側室。浅井三姉妹の長女。父の浅井長政は信長に討たれ、義父となった柴田勝家は秀吉との織田家の覇権争いで敗れ、母お市の方とともに自害した。茶々にとって秀吉は親の仇であったが、やがて側室となって秀吉との間に鶴松と秀頼の2人の子を産んでいる。
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豊臣鶴松(つるまつ)

秀吉の長男。嫡男として誕生したが、わずか3歳で病没した。
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豊臣秀頼(ひでより)


秀吉の二男。母は茶々。関白・豊臣秀次の自害(1595年)後、秀吉の後継者となる。大阪の陣(1614-15年)で家康に敗れ、母とともに自害した。

秀吉7人の養子

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羽柴於次丸秀勝

織田信長の四男。幼名は於次丸。信長の生前に秀吉の養子となったが、18歳という若さで病没した。
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豊臣秀次(ひでつぐ)

三好吉房の子。秀吉の甥にあたる。のちに秀吉から関白を譲られるが、豊臣秀頼の誕生をきっかけに自害した。
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豊臣秀勝(三好秀勝)

三好吉房の子で秀次の弟。朝鮮出兵(文禄の役、1592年)中に現地で病没した。
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羽柴秀康

のちの結城秀康。徳川家康の次男。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いでの講和に伴い、秀吉へ養子として出された(実質は人質)。のちに下総の結城氏の養子となった。
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羽柴秀俊(ひでとし)

のちの小早川秀秋木下家定の子。天正13年(1585年)に秀吉の養子となる。慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦のときに石田三成を裏切り、家康を勝利に導いた人物として有名。
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羽柴秀家(ひでいえ)

のちの宇喜多秀家。備前国の戦国大名・宇喜多直家の子。のちに豊臣五大老の一人。
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八条宮智仁親王

誠仁親王の子。今出川晴季の斡旋で秀吉の猶子となった。将来の関白職を約束されていたが、秀吉の実子・鶴松の誕生で解約となった。





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