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【逸話】九戸討伐での出陣順序
──天正19年(1591年)

※『名将言行録』より

天正19年(1591年)、豊臣政権による奥州仕置に反発して起こった九戸政実の乱で、家康が武州岩附(=埼玉県岩槻)の城まで出陣したときのこと。

-- 武州岩附にて --

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家康

直政!そちは軍備がととのい次第出陣して、蒲生や浅野に力を貸して、九戸の軍力を計るのじゃ。

井伊直政

ははっ!

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本多正信

殿。恐れながら・・・・。
直政は徳川家の大切な執権でございますれば、このたびの討ち手は、まず直政よりも下の者を遣わし、それが叶わなかったときにこそ、直政を遣わされるのがよいかと存じます。

本多正信アイコン
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家康

正信よ。そのようなことは思慮のない者がすることじゃ。わしの婿・北条氏直などのような者がな。

本多正信

!!

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家康

なぜなら、最初に軽い者を遣わし、埒が明かないからと言って、重い者を遣わせば、はじめに行った者は面目を失い、討死するほかないであろう。そうすれば、理由もなく家臣を殺すことになるため、まことに惜しいことではないか。





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