【やさしい歴史用語解説 その16】「使番(つかいばん)」

明石則実
 2022/03/24
映画やドラマの合戦シーンで、旗を背負った騎馬武者が縦横に戦場を駆け巡る場面があると思います。

「戦いに参加せずに、なんで馬に乗って走ってるの?」と不思議に感じる方も多いはず。あれは「使番(つかいばん)」という役目を持った武士なのです。

百足(むかで)の旗で有名な武田軍の伝令部隊「百足衆」や、「伍」の旗を背負った徳川の伝令などが有名ですが、使番とは本陣と各部隊の間を行き来し、意思疎通や命令伝達を主たる任務としていました。あるいは戦陣へ馳せつけて味方を鼓舞することもあったとか。

その活躍範囲は合戦だけではありません。平時には与力の国衆・土豪との折衝役となったり、他国との外交交渉を担ったりするなど、単に戦いが強いだけでは務まらない役目だったようです。

使番出身の武将といえば、真田昌幸・春日虎綱・服部正成などが挙げられ、武勇のみならず知勇にも優れていることが条件でした。

織田信長の親衛隊というべき赤母衣衆・黒母衣衆もまた、使番としての役目を果たしています。彼らは優れた武勇を持ちつつも信長の手足として動き、その覇業を支えました。前田利家・佐々成政・金森長近などが知られていますね。
※関ヶ原の戦いにおける使番たち(wikipediaより)

※使番を経験して出世した春日虎綱(wikipediaより)


さて合戦が無くなり、江戸時代になっても使番は幕府・番方の職制として残ります。

その役目はむろん将軍の指令を受けて、各地へ上使として派遣されることでした。江戸開府直後の人数は25人程度とされ、さらに幕末期には112人を数えたといいます。

とはいえ幕藩体制の下では、将軍から直々の指令など滅多にありませんから、基本的に巡察や行政指導が主な役目となりました。

例えば将軍代替わりの際に諸国を巡見してみたり、あるいは天領の目付として派遣されていたようです。また駿府目付となって年間100日に限って駿府や甲府へ出張し、行政監督にあたることもありました。

こうした巡見役となった使番を迎える際、地域では様々な対応を迫られたといいます。

まず使番の派遣が決まると藩の指示に基づき、大庄屋が使番の動向を各村落へ知らせ、村々に周到な準備をするよう手を回しました。また地域ごとに問答集を準備することもあったとか。藩政の問題点が幕府へ伝わる恐れがあるため、藩の指示通りに回答させるように仕向けていたそうです。

なお、使番の変わった役割として、火事が多かった江戸で火消働きに従事したことでしょうか。自ら大名火消を率いてみたり、火事の状況を幕閣へ報告するなど、かなりフレキシブルな活動をしていたようです。あくまで彼らの任務は「報告」にありましたが、時として実行部隊としての役割も期待されていたのでしょう。

ちなみに平均的な家禄は1千石程度で、これは中堅どころの旗本にあたるでしょうか。幕府若年寄の配下として置かれ、江戸城菊之間御襖際で詰めていました。
※江戸城詰めの間(wikipediaより)

とはいえ、彼らの終着点は使番ではありません。あくまで通過点に過ぎず、ゆくゆくは目付。そして奉行職といった栄誉を目指していたのです。
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明石則実 さん
戦国好き・お城好きの歴史ライターです。愛犬と城郭や史跡を巡ることが大好きで、 ...

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