JR中央本線で武田家終焉の地・景徳院から、新府城址へ

小林さやか
 2022/05/02
JR中央本線に乗り、笹子トンネルを抜け甲府盆地方面に出ると、JR 甲斐大和駅。かつては初鹿野(はじかの)と呼ばれていた駅だ。現在の駅の住所は、甲州市大和町初鹿野だが、2005(平成17)年までここは大和村、1941(昭和16)年までは初鹿野村だった。

駅舎隣には線路の上を渡すように新初鹿野橋が架かる。その橋を渡って山側へ向かうと、小さなロータリースペースと東屋がある公園があり、武田勝頼公像が建っている。像の横には、天正10 年3 月、勝頼が最後に天目山栖雲寺を目指したが、田野の地で武田家の終焉を迎えたことが刻まれている。

駅には「武田家終焉の郷」「武田勝頼公の菩提寺である景徳院の最寄り駅」と紹介されているが、景徳院までは、車やバスで10 分程の距離があるので、歩く際にはハイキングのつもりで行ったほうがよいかもしれない。道沿いに古戦場跡の碑などがあり、歴史散歩ができる土地だ。

景徳院は、勝頼の菩提を弔うために、徳川家康の命で建立された。周囲は緑深く、山門をくぐると急な石段があることからも、山の中腹であったことが想像でき、本堂のある場所まで上ると、少し広くなっている。

武田勝頼、北条夫人、嫡男信勝、家臣や侍女たち50 人が自刃した当時は、何もない場所だったのだろう。勝頼親子が自刃した場所にはそれぞれに生害石があり、3人の辞世の句がリアルで、戦国時代がつい最近の出来事であったかのように感じられる。

景徳院の総門の前には、川が流れている。今はただ美しい清流だが、勝頼親子の首洗い池、侍女が身を投げた姫ヶ淵など、ここには川にまつわる悲しい話も多く残る場所だ。



JR中央本線には、もう1つ武田勝頼ゆかりの駅がある。JR新府駅だ。武田勝頼が、甲府の躑躅ヶ崎館から政庁機能を移した「新しい府中」である新府城。築城から入城まで1 年に満たなかった新府城は未完の城であったとされ、織田勢に攻められた勝頼は、自ら城に火をかけた。

JR 新府駅に降り立つと、駅舎がないことに気づく。ホームには、ぽつんと折りたたみの椅子が設置されているのみ。そして、電車が向かう先を見ると、上下線ともに緑が揺れる気持ちのいい風景が広がっている。なんとも美しい駅、そして、のどかだ。

ホームはゆるやかなカーブを描いている。韮崎から真っ直ぐに来た中央本線は、七里岩台地を上り、新府城を避けるかのように新府駅の手前で大きく弧を描いて走る。

この駅の前身は、第二次世界大戦中の1945(昭和20)年に軍需工場を建設する計画によって設置された新府信号場。それが、1972(昭和47)年に駅に昇格したのだという。

新府城址へは、駅から森を抜けるような道を歩いて15 分程の距離がある。さらに、丘陵上にある新府城跡へは、急な石段が待っている。

建物などの残っていない新府城本丸跡地には、現在、藤武稲荷神社が建っている。どこが寂しさのある新府城址だが、ここは桜の名所でもあり、春には30 本近くのソメイヨシノが咲き誇る。高台であることから眺めもよく、新府桃源郷といわれるほどの桃畑も、ここから見下ろすことができる。


山梨県甲州市観光協会ホームページ
https://www.koshu-kankou.jp/map/jinjya/keitokuin.html

(一社)韮崎市観光協会ホームページ
https://www.nirasaki-kankou.jp/kankou_spot/jinjya_bukkaku_rekishi/meisho_kyuseki/6562.html
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小林さやか さん
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