【やさしい歴史用語解説 その21】「甲冑」

明石則実
 2022/06/02
大河ドラマや時代劇などでおなじみの甲冑ですが、今回は甲冑の変遷をご紹介しましょう。時代ごとにスタイルや用途が移り変わり、当時の戦いに対する考えに思いを馳せることができます。

まず最初に甲冑が登場したのは弥生時代でした。これは「短甲」や「挂甲」と呼ばれ、鉄板同士を繋ぐ鋲留めの技法や、覆輪の技法が用いられています。いずれも後世の甲冑の原型といえるもので、すでに草摺や肩鎧、腕を守る籠手、脚を守る脛当などが完備していました。
※短甲冑着用男子図(wikipediaより)

やがて平安時代後期に入ると、戦いを生業とする武士が登場します。大鎧や胴丸が一般化して、主に矢を防ぐ工夫が加えられました。

当時の上級武士が着用する大鎧は非常に重く、とても徒歩では動けません。そのため、騎馬戦に適した甲冑でした。一方、胴丸は兜・袖・籠手・脛当などを用いない軽武装でした。徒歩で戦う下級武士が主に着用していたようです。
※大鎧を着用した武者絵(wikipediaより)

鎌倉時代~室町時代にかけて、甲冑のスタイルもより軽量化していきます。これは戦闘法の変化によって戦いの規模が拡大し、徒歩武者が増えたためです。戦場で機敏に動くためには腰で鎧の重さを支え、両肩にかかる鎧の重さを軽減する必要がありました。胴丸や腹巻といった甲冑は腰のあたりがすぼまり、より体に密着する工夫がなされています。

ただし古くからの大鎧も健在でした。上級武士ほど豪華できらびやかな大鎧が珍重され、社会的シンボルとして好まれたからです。

戦国時代に入ると、いよいよ「当世具足」が登場します。

槍や矢から攻撃を防ぐだけではなく、新兵器・鉄砲に対処する必要があったため、より頑丈で軽量な甲冑が求められました。ちなみに「当世」とは現代風という意味で、当時の武士たちにとって「新世代の甲冑」という意識があったのでしょう。
※加藤清正所用の当世具足(wikipediaより)

当世具足のフォルムは避弾経始を意識して丸みを帯びて作られ、大型だった袖や草摺も動きやすいように小さくなっているのが特徴です。また背中には個人や部隊を識別する差物を付けるため、合当理(がったり)という部品が付くようになりました。

ちなみに大河ドラマの戦国物に登場する甲冑は、多くがこのタイプですね。

そして甲冑の最終進化形態と呼べるものが出現します。スペインやポルトガルとの南蛮貿易のおかげで、西欧の甲冑が日本へ輸入されました。これに一部手を加えて流用したのが「南蛮胴具足」と呼ばれる甲冑です。
※明智秀満所用の南蛮胴具足(wikipediaより)

織田信長が着用したとされ、現存するものでは徳川家康所用のものが有名でしょうか。ただし非常に高価だったため、一部の上級武士しか入手できなかったようです。

やがて江戸時代に入ると甲冑の需要はなくなり、むしろ美術工芸品として珍重されました。実用性を無視した華美で復古調のものが作られ、明珍派という一派が有名となったようです。

こうして時代とともに変遷を遂げた甲冑ですが、江戸幕府の終焉とともに本来の役目を終えました。
  この記事を書いた人
明石則実 さん
戦国好き・お城好きの歴史ライターです。愛犬と城郭や史跡を巡ることが大好きで、 ...

  • このエントリーをはてなブックマークに追加