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帝銀事件 71年目の真実 「甲斐捜査手記」が語るもの

髙橋俊雄
 2022/07/25

はじめに


帝銀事件という事件をご存じかと思います。昭和23年1月26日に東京都豊島区椎名町にあった帝銀椎名町支店に「東京都防疫班」の腕章を付けた男が現れ、銀行員に毒を飲ませ16人中、12人を殺し、金を奪って逃げた事件です。

この事件が何故、取り上げられることが多いのかというと、それは犯人とされた平沢貞道氏は冤罪ではないか、という疑いが濃かったからです。裁判は最高裁にまで進み、最終的に死刑判決が確定します。しかし、その後も冤罪説は消えず、逆に真相を探るべく多くのジャーナリストが独自の調査を進めてきました。

Wikipediaにもあるように捜査本部は当初、旧軍関係の薬物を扱っていた人物の線を追っていました。平沢氏が名刺班に逮捕された時も「捜査本部の主流は平沢シロ説であり、平沢の逮捕を断行した名刺班の面々は事実上の謹慎処分となった」とある位です。しかし旧軍関係の捜査がGHQの壁に阻まれ、更に平沢氏に余罪があることが判明すると捜査本部は一転して「平沢クロ説」に傾いてゆき、遂に「犯人は平沢貞道」となってしまったのです。これが、松本清張さん始め、沢山のジャーナリストが突き止めた事実です。

そして時は流れ2019年。当時、捜査主任だった甲斐文助刑事が捜査会議の時に書いたメモが残されており、「甲斐捜査手記」と呼ばれていました。あくまでメモなので、相当に読みにくいものでしたが、その分析結果が公開されました。すると、そこには驚くべき内容が書かれていたのです。「甲斐捜査手記」は膨大な量で、ここで全てをご紹介することはできません。ですので、ここでは使用された毒物について説明してみたいと思います。

帝銀事件で使用された毒物


当初からこの事件で使用された毒物の不思議な特性は、一部の人達の注目を浴びていました。警視庁の分析結果から「青酸化合物」であることは確実でしたが、青酸化合物にも色々な種類が有ります。

一番、有名なのが青酸カリですが、青酸カリは即効性で、飲んだらすぐに苦しみ始め、即死してしまいます。ところが帝銀事件では、毒を飲まされてから苦しみ始めるまで5分近い時間がかかっているのです。

このように飲んでから効き目が現れるまで時間がかかるものを遅効性と言いますが、遅効性の毒物というのは、一般に知られているものは「まずない」と言って良いのです。実は裁判でもこの点が問題になりましたが、検察側は「青酸カリが古くなっていたので効き目が遅くなった」という極めて非科学的な説明を行い、裁判官はそれを認めてしまったのです。

裁判官は何かにおびえていたのでしょうか?最高裁が最終判決が出したのは、サンフランシスコ平和条約が締結され、GHQが引き揚げてから3年も経ってからのことで、もうGHQを怖れる必要はなかったはずなのです。

ですが、一説にはGHQに雇われていた日本人(主に元特高警察メンバー及び旧軍人)はGHQ撤収後も組織的な活動をしており、それは今でも続いているとの噂もあります。また、中には青酸カリは飲んでから胃液と混ざることにより発生する青酸ガスで死ぬのであって、決して即効性ではない、という主張もあります。

16人という数の人に投薬し、全員が5分間も何も症状が出なかったことが偶然だ、とでも言うのでしょうか?犯人はそんな偶然に期待して犯行に及んだのでしょうか?犯人の冷静な振る舞いは明らかにそれを否定しているとしか思えないのです。

さて、話が少し横道にそれましたが、本題に戻り、この「謎の毒物」について問題の甲斐捜査手記に書かれていたことを、そのままご紹介しましょう。

(甲斐捜査手記抜粋)

・毒ガス兵器の開発・製造は六研。飛行機投下用人材養成は浜松陸軍飛行学校。陸上用人材養成は習志野学校。両校は研究部門も併設。六研を含め連携し本土決戦に向け青酸兵器を開発。

・登戸研究所は毒物開発担当。

・満州731部隊は人体実験担当。

・登戸研究所所長 伴繁雄の話
帝銀で使われたのは登戸研が開発した青酸ニトリールに間違いない。犯人は提供先の誰かだろう。青酸ニトリールは遅効性の青酸化合物。5分で発症、10分で死亡。遺体には青酸しか残らない。集団自決用に開発。青酸カリは即効性で最初に飲んだ人がもだえ苦しむ。それを見たら後の人が怖気づいてしまうので遅効性の物が必要とされた。揮発性が高く保存は瓶に入れグリセリン等の油分で上部を厚く覆う必要が有る。犯人が第一薬を飲んでも無事なのは上部の油分の所だけを飲んだからだろう。青酸ニトリールを提供した部隊の記録は残っている。

・登戸研究所研究員 青酸ニトリール製造担当 中村博保の話
帝銀事件の場合、全部残さずに呑み乾した手口は非常にうまい。もし私がやるとすれば、相手の年齢・体格をみて各個違った量を与え一人も生き残りを出さないように全部殺す自信がある。スポイトでやった目分量が技術達者な者とは言えない。だから生存者が出た。

・習志野学校の手順書の内容は帝銀のやり方に酷似。

出典:明治大学平和教育登戸研究所資料館 館報 2019年度 第5号
『甲斐捜査手記』より明らかになった旧日本陸軍の毒物研究とネットワークおよび GHQ と交わされた “ ギブ・アンド・テイク ” 明治大学平和教育登戸研究所資料館特別嘱託学芸員 塚本百合子


なんと、捜査本部はこれだけ詳しい情報を掴んでいたのです。これを読んで始めて帝銀事件で使われた毒物の謎が完全に解明されたと言って良いでしょう。

実は「青酸ニトリール」という毒物は旧軍医療関係者の中では、知られていたものらしく、甲斐手記の分析結果が出る以前にも文芸春秋などで一部のジャーナリストが指摘していたものでした。しかし、その後、伴繁雄氏も中村博保氏もGHQの圧力がかったらしく「そんなことを話した覚えは無い」という姿勢に転じ、口を閉ざしてしまいました。

ですので、甲斐捜査手記が残されていなければ、お二人の話が世に出ることは決してなかったでしょう。もちろん軍には何ら関係の無い、ただの日本画家であった平沢貞道氏が青酸ニトリールを入手することは不可能であったことは間違いないでしょう。この1点だけでも平沢貞道氏の冤罪は証明できるのです。

真犯人は誰で、事件後どうなったのか?


犯人は現場で「GHQのホートク大尉に言われて来た」と言っています。このホートク大尉というのは実在した人物であり、衛生担当でもありました。つまり、犯人はホートク大尉を知っていたのです。それは犯人がGHQに関係のある人物であることを証明しています。

また、伴茂雄氏は「青酸ニトリールを提供した部隊の記録は残っている」と語っています。その記録と当時、GHQの衛生関係者として雇われていた日本人の記録を重ね合わせれば、相当に真犯人は絞られるでしょう。また、習志野学校で教えられた手順書に酷似している、ということは、犯人は習志野学校に在籍していた可能性が高く、そちらの記録とも重ね合わせれば、さらに絞られるでしょう。

ここから先はあくまでも「推測」になりますが、多分、真犯人はGHQの手で始末されたと見て良いと思われます。各種の記録が残されている以上、それらを重ね合わせれば簡単に真犯人は割り出せるからです。しかしGHQは一切の情報提供を拒み開示しませんでした。当時の日本はGHQに支配されていたので、警察といえど、それに逆らうことは出来なかったのです。

GHQにとっても、大量殺人犯がGHQ内にいる、ということは不都合極まりないことであったでしょう。それが世に知れたらGHQの権威は地に落ちてしまいます。

ですので、密かに始末された、と見て良いのではないか、と思っています。なぜ「始末された」と思えるのか、というと「エリー軍曹」の一件が、そう思わせるのです。

実は「甲斐捜査手記」の中にも真犯人の候補となりうる人物が記載されており、旧731部隊に所属していたNという人物が挙げられています。しかしNは「謎の自殺」をしており、遂に捜査の手は及びませんでした。

唯一のアリバイ証明者


実は事件当日の事件発生時刻に平沢氏と会っていた人物がいるのです。それは平沢氏の二女と、その二女と付き合っていたエリー軍曹という進駐軍の軍人でした。

二女は家族なので証人にはなれません。しかしエリー軍曹は「全くの第三者」なので証人になることができたのです。もしエリー軍曹が法廷で「その日のその時間、私は平沢貞道氏と彼の東京の家で会っていた」と証言すれば、平沢氏のアリバイは証明されて断罪されることはなかったでしょう。

しかしエリー軍曹は突然、帰国を命じられます。そして帰国してからのエリー軍曹の行方はぷっつりと途絶えてしまい、現在でも行方不明なのです。もう既に生きてはいないでしょう。こうして平沢貞道氏に有利な証拠は消し去られていったのです。

法務大臣のデスクの引き出しには死刑確定判決の出た死刑囚に対する死刑執行命令書が入っています。その書類に署名すれば死刑が執行されるのですが、歴代の法務大臣は誰一人として平沢貞道氏の死刑執行命令書にサインをしようとはしませんでした。

それは何故でしょうか?密かな申し送りでもされていたのでしょうか?それとも世に溢れる「平沢貞道冤罪説」を知っており、とてもサインする気にはなれなかったからでしょうか?

昭和62年5月10日午前8時45分、平沢貞道氏は肺炎で亡くなりました。昭和23年8月21日に逮捕されてから、実に39年3か月という長期の収監でした。そして昭和30年の死刑判決確定後は、ずっと「いつ死刑が執行されるのか」という恐怖におびえながらの32年間でした。これは「死刑よりも残酷な刑」と言えるのはないでしょうか。
  この記事を書いた人
髙橋俊雄 さん

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