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【やさしい歴史用語解説 その2】「将軍」

明石則実
 2022/01/26
第2回目の歴史用語解説ですが、映画やドラマで頻繁に出てくるワード「将軍」を解説していきましょう。

「幕府で一番エライ人」が将軍となるわけですが、正しくは「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」といいます。「夷」とは蝦夷(えみし)のことを表し、主に関東地方から北海道で暮らしていたアイヌ民族を指すでしょうか。
平安時代初期に、坂上田村麻呂という人物が征夷大将軍に任ぜられて蝦夷を討ち、朝廷の勢力範囲を拡大したことが知られていますね。
坂上田村麻呂(菊池容斎『前賢故実』より。wikipediaより転載)

その後、蝦夷の追討が終わったことで征夷大将軍の職は長く空位となりますが、これに目を付けた人物がいました。それが鎌倉幕府を興した源頼朝です。東国の武士たちから支援を受けた頼朝は平家や奥州藤原氏を滅ぼし、東日本に武士政権を樹立しますが、朝廷から認められるためには高い官位が必要です。

そこで頼朝は上洛し、権大納言・右近衛大将という高い位を与えられますが、すぐに辞退してしまいます。
実は高位になればなるほど、朝廷の儀式や典礼に参加する義務が生じて、京都を離れることができなくなってしまうからです。武士の支持を得ている頼朝とすれば東国が心配ですし、武士たちにしても「頼朝公は朝廷にべったりで、平家の二の舞になるのではないか?」と考えることでしょう。

そこで有名無実となっていた征夷大将軍に着目したのです。正二位という高い位は申し分ありませんし、しかも東国の武士を指揮するという職務ですから、京都にいる必要はありません。
こうして頼朝が幕府を開いたことで、将軍就任はその後の武家政権のスタンダードとなりました。

ちなみに室町幕府を興した足利氏は京都にいながら将軍となっていますが、その頃には「征夷」というワードは意味をなさなくなっています。武士を束ねて統率する者がすなわち将軍だったわけですね。
やがて戦国時代が終わって江戸時代がやって来ます。江戸幕府が平和な世を築くべく示したのは、「秩序」というパワーワードでした。乱れた世を正し、まっとう社会を作るためには秩序こそが大事だと主張したのです。

では秩序とはいったい何なのでしょう?それは天皇を頂点とする社会構造の在り方です。武家政治なのに天皇中心とは不思議な話ですが、幕府は大義名分としておおいに活用しました。

日本という国は天皇家のものであり、将軍や幕府は政治を任されているに過ぎないという考え方です。また全国の藩も土地を預けられているだけで、もし政治がうまくできなければ、すぐに改易という名の取り潰しに遭いました。
そうすることで「天皇→将軍→全国の藩主や武士」といった図式を作り上げたのです。

たしかに、この社会構造のもとで260年の長きにわたる平和が保てたのですが、その図式を作り上げた幕府が自らの首を絞める結果となりました。

幕末期、欧米列強との対外交渉を務めた幕府は弱腰だと批判され、全国に尊王攘夷運動が巻き起こります。さらに幕府の古い体質や弱さが露見した時、ついに薩長による倒幕運動に直面するのです。

その結果、最後の将軍・徳川慶喜の大政奉還へと繋がり、徳川一強体制は崩壊していきました。
禁裏御守衛総督時代の慶喜(wikipediaより転載)
  この記事を書いた人
明石則実 さん
戦国好き・お城好きの歴史ライターです。愛犬と城郭や史跡を巡ることが大好きで、 ...

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