平安時代は全く華やかではなかった?しんどすぎる実生活を分かりやすく解説!

一茶
 2022/01/31
※上記写真は岩手県奥州市江刺にある平安時代のテーマパーク「えさし藤原の郷」

平安時代といえば、豪華な「寝殿造」や華やかな「十二単」などを思い浮かべる人が多いでしょう。紫式部の書いた「源氏物語」にも貴族の優雅な生活が描かれています。

しかし、平安時代の生活は想像以上に苦しいものでした。皆さんのイメージを覆すその生活の実態を分かりやすく解説していきます。

平安時代とは?


平安時代は「泣くよウグイス平安京」というように794年から1185年まで、ざっと400年ほども続いた時代です。京都の平安京を都として、優雅な国風文化が花開きました。

しかし、長岡京に続き短期間で2度の遷都を断行し、蝦夷の征討までも行おうとした桓武天皇に対しては藤原緒嗣が「天下の民が苦しむ元凶は軍事と造作(百姓が蝦夷征討と都造営のため苦しんでいる)」という抗議を行ったほどでした。

平安時代は格差社会だった?


平安時代の庶民は基本的に持ち家がなく、貴族の屋敷で仕事に就いていましたが、風邪や病気などで働けなくなると、すぐに追い出されてしまいます。

『餓鬼草紙』には、そのようにして路頭に迷った人々がそのまま死んでしまい、路上に死骸が棄てられている様子が描かれています。
※痩せ細った人々が路上に座り込んでいる様子が描かれている。

平安時代の貴族は「寝殿造」の屋敷に住んでいましたが、庶民は全く異なる家に住んでいました。貴族の住む煌びやかな屋敷とはかけ離れた「竪穴式住居」です。

竪穴式住居は縄文時代から使われていたもので、庶民の生活水準が縄文時代と同程度のものであったことが想像できます。

また、庶民の中でも身分の低いものは木を貼り付けただけの小屋に住んでいたともいわれており、貴族と庶民の格差は皆さんの想像を超えるものだったのではないでしょうか。
※平安時代の庶民が暮らしていた竪穴式住居

平安時代の食事とトイレは最悪?


平安時代の税金には「お米」がありました。

そのため、庶民が日常的に食べることのできるお米はほとんどなかったといわれています。平安時代の貴族は様々な料理が少しずつ乗った豪華な食事をとっていたとされていますが、庶民は日々の食事すらままならない状況だったようです。

また、平安時代には「トイレ」がありませんでした。

そのため、路上でするか樋箱と呼ばれる木で作られた箱に用を足し、川に棄てにいったそうです。一説では、貴族の下水はそのまま庶民の生活水として使われていたともいわれています。

衛生的にもあまり良い状況であったとはいえません。

平安時代の臭いはやばい?


平安時代は毎日お風呂に入るという習慣がありませんでした。

お風呂といっても、湯気で身体を温めるだけの蒸し風呂であったため、十分に汚れが落ちていたとは考えられません。そのため臭いなどもかなりきつくなり、平安時代の女性(貴族)は香水をつけていたとされています。

また、平安時代は移動に牛馬を用いていたため、道のそこら中に糞が落ちていたといわれています。人間の糞や下水の臭いと相まって、外も相当な悪臭が漂っていたと推測されます。

おわりに


今回は煌びやかなイメージをもつ平安時代の実生活について見ていきました。

格差社会や下水処理、悪臭問題など様々な「しんどい実態」を解説してきましたが、皆さんのイメージ通り平安時代には華やかな文化や貴族社会が花開いた時代でもあります。

これを機に、平安時代について本やインターネットを用いてたくさん調べてみるのも面白いかと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

【参考文献】
・渡辺晃宏「平安遷都と律令制の変容」
・村田和弘「昔むかし…。~京都府の遺跡をよむ~」
  この記事を書いた人
一茶 さん

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