大阪には五代友厚像がたくさん!五代友厚の功績と大阪との深い関係

ゆかた
 2022/02/07
大阪の中心地・北浜の一等地には「五代友厚像」が建っています。この場所は大阪証券取引所の目の前であり、大阪の金融街ど真ん中といえる場所です。

五代友厚は薩摩出身の幕末の実業家として知られていますが、なぜここまで大きな五代友厚像が大阪にあるのでしょうか?大阪と五代友厚の深い関係と、他にもあった大阪の五代友厚像について調べてみました。

五代友厚とは?


五代友厚は、1836年2月(天保6年12月)鹿児島生まれ。長崎海軍伝習所でオランダ海軍士官より航海、数学、砲術、測量などの技術を習得し、薩英戦争(1863)に参加した際には捕虜になって脱出した経験も。長崎時代には勝海舟、グラバーなど様々な人たちと交流していたそうです。その後1865年からヨーロッパを視察し、薩摩藩の産業振興・貿易発展に大きく寄与しました。

明治維新後は外国人殺傷事件(神戸事件、堺事件等)の解決に奔走したこともあり、外国官権判事となり、大阪府判事に。明治2年に退官し、実業界に転身しました。
その後は大阪に残り、以来大阪の商工業の発展に尽力することになります。

ちなみに、NHKの朝ドラ「あさが来た」大河ドラマ「晴天を衝け」で五代友厚を演じたのがディーン・フジオカさん。そのハマりっぷりに五代ファンになった方も多いはずです。

大阪の“恩人”と言われる五代友厚の功績


五代友厚が大阪と深くかかわるきっかけとなったのが、明治元年に外国官権判事として大阪勤務になった時です。その後大阪にとどまることになります。長崎や留学で学んだ知識を大いに活かし、大阪の経済的発展、近代産業の開拓を指導しました。

● 五代友厚の大阪での功績


まず携わったのは大阪を開港し、貨幣の価値を高めること。貨幣の必要性を説き、長崎時代交流があったグラバーの協力を得て大阪に造幣局を設置したり、金銀分析所を設立するなど奔走しました。

さらには、反対を押し切り大阪に為替会社・通商会社を設立しました。はじめは渋っていた大阪の有力商人たちも、後に大阪の急速な発展に五代友厚に感謝したといいます。

鉱山・製藍事業など、大阪の産業の近代化にも貢献し、大阪株式取引所大阪商法会議所の設立や運営、大阪堂島米商会所、商業講習所(大阪市立大学)の設立・指導に尽力し、大阪財界の組織化にも貢献しました。
※上記は旧大阪造幣寮。五代友厚は造幣局の設立に尽力しました。

● 五代友厚の最期


五代友厚は東京で活躍した渋沢栄一と並び、東の渋沢・西の五代 などと称されました。その渋沢栄一は90代まで生き活躍しましたが、五代友厚は49才の若さで病没してしまいます。

早すぎる五代の死は大阪にとって不幸な出来事で、葬儀の際には多くの人々がその死を悼んだと言います。死を目前として五代友厚は大阪に籍をうつしており、遺言により大阪に埋葬されました。

当時、財界の仲間や商人だけでなく、街のおかみさん連中が「五代はんは大阪の恩人や」と語りついだことから“大阪の恩人”といわれるようになったとも言われています。

大阪には実は他にもたくさんの五代友厚像がある!


実は大阪には他にもいくつかの五代友厚像が存在します。大阪で見つけた五代友厚像をご紹介します。

● 大阪証券取引所

大阪証券取引所は大阪株式取引所が前身です。五代友厚が設立に携わりました。

現在大阪証券取引所では株式取引は行われていませんが、その他の取引(市場デリバティブ取引)は行われており、日本で初かつ唯一の、総合取引所です。

北浜の一等地にあるため、わかりやすく「大阪の五代友厚像」といえばこの銅像を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。大きさも一番です。台座もかなり大きく迫力がある像です。

● 大阪市立大学

五代友厚は、明治13年に大阪市立大学(前身は大阪商業講習所)を設立しました。この銅像は、五代生誕180年を記念して建てられたものだそうです。

● 光世証券前

光世証券創業者の巽悟朗氏が自身の会社内に設置したのがこの像。大阪証券取引所の理事長でもあり、経済界のために人生を捧げた五代氏のことを尊敬し建てたものだと言われています。

像は光世証券内にあります。営業時間中でないと入ることができないので要注意。ビルはレトロで外観も一見の価値があります。

● 大阪商工会議所

大阪商法会議所の初代会頭になったのが五代友厚です。現在の大阪商工会議所の南側に、三人の銅像があります。左側が五代友厚像です。中央が7代会頭の土居通夫、右が10代会頭の稲畑勝太です。

● 大阪市立大阪ビジネスフロンティア高校


五代友厚は、大阪商業講習所を設立し、その後進の大阪高等商業学校から独立開校したのが市立天王寺商業高等学校。さらに現在では大阪市立大阪ビジネスフロンティア高校と名前を変えています。

天王寺区にありますが、銅像は校内にあるため非公開となっています。

まとめ


かなりたくさんの五代友厚像がありました!大阪の街全体が五代友厚に感謝して、その功績をたたえたいと思っていると言えそうです。

特に北浜の五代友厚像はとても目を引く場所に建っているので、機会がある方は像を見上げてみて大阪や五代友厚の想いに触れてみてはいかがでしょうか。
  この記事を書いた人
ゆかた さん

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