政略結婚に利用された徳川千姫、その後の人生も意外に充実

angelica
 2022/03/29
※千姫の錦絵(月岡芳年 画。wikipediaより)

徳川千姫(せんひめ)は、2代将軍秀忠と正室お江の方の長女として生まれました。そして秀吉と祖父家康の約束で、6歳の時に豊臣秀頼と結婚、大坂夏の陣で大坂城から救出されたのは、18歳の時でした。

その後の千姫の人生は、あまり語られることがないのですが、意外にしっかりとした人生を送ったみたいなので、ご紹介しましょう。

1、千姫と秀頼は従兄弟同士


千姫は慶長2年(1597年)4月11日に、伏見城内の徳川屋敷で誕生。そして慶長8年(1603年)に4歳年上の10歳の秀頼と結婚しました。

千姫の祖父家康は、秀吉の死後、特に関ヶ原合戦後は、征夷大将軍に任命されて幕府を開き、関ヶ原合戦で勝った東軍の武将たちへの勲功で、豊臣家の領土をごそっと奪い、65万石の一大名にしました。

そういうわけで、秀吉との約束なんて反故にしてもいいはずなのに、千姫と秀頼を結婚させたのは、千姫付きの侍女や家来にスパイ活動をさせるためだったと言われています。

なので、大坂城に入った千姫を、姑で伯母でもある淀殿が可愛がったかどうかは不明ですが、右大臣である息子秀頼の正室にふさわしい教育を受けさせた話があります。

秀頼との仲も、16歳になった千姫の男子の元服に当たる儀式「鬢削(びんそぎ)」を秀頼が行ったという程度しかわからないです。

とにかく、大坂夏の陣では、秀頼と淀殿は山里曲輪の糒蔵に立て籠って自害し、千姫と乳母、侍女は救出されたのです。

2、千姫、秀頼の娘を助命嘆願


ところで、秀頼には側室がいて、子供も生まれていました。千姫を憚って大坂城を出て別の場所で育てられていたが、冬の陣で大坂城に入り、秀頼と対面したということでした。

その国松は捕らえられて処刑された(生存説もあり)が、娘は千姫ががんばって助命嘆願した結果、鎌倉の尼寺東慶寺の住職となることを許されました。
千姫とはその後、手紙などのやり取りがあったという微笑ましい話もあります。

3、千姫、本多忠刻と再婚


千姫が、大坂城から救出されたとき、家康は喜んだが、父秀忠は何で夫秀頼と一緒に死ななかった、と怒ったという話があります。秀忠が本気で怒ったととらえる人はいないでしょう、ツンデレですよね。

千姫はその後、一旦江戸城へ帰ったが、本多忠政の息子忠刻と結婚のために、10万石の化粧料を持って桑名へ、そして本多家が播磨姫路へ転封となったので、姫路城西ノ丸に住むことになりました。

この千姫の再婚を巡って、津和野藩主坂崎直盛が、千姫の輿入れの行列を襲って強奪する計画を立てたため、家臣に殺害されたのですが、家臣が直盛の自害と偽装したのがばれて改易処分となった事件が起こりました。

これには、大坂城から千姫を助けたら嫁にという約束で助けた坂崎が反故にされた説、家康から公家と千姫との縁談を依頼されまとめたのに、本人が忠刻と結婚すると反故にして坂崎が顔を潰された説などがありますが、真相は不明です。

とにかく、千姫は、イケメンで従姉の息子でひとつ違いの忠刻と幸せな結婚生活を送ったようですが、10年で嫡子幸千代と忠刻が亡くなり、実家の江戸城へ引き取られました。

4、天樹院と名乗り、弟家光に信頼される


千姫は30歳で落飾して天樹院と名乗り、娘勝姫と、竹橋御殿を建ててもらって住みました。
勝姫はその後、父秀忠の養女となって岡山藩池田光政と結婚、1男4女に恵まれたのです。

そういうわけで、池田家には家康だけでなく、忠刻から織田信長、千姫から浅井長政とお市の方の血も入って子孫が続き、その血は現在の天皇家にも流れているそう。

また、千姫は、7歳違いの弟の家光と仲が良く、あの春日局にも一目置かれていたということです。
家光が生まれたとき、千姫は大坂城にいて子供時代を一緒に過ごしていないのに、家光は厄年に生まれた次男綱重を、千姫の養子にして育ててもらったほど信頼が厚かったよう。

千姫はまた、次の4代将軍家綱の時代にも大奥の最高顧問的な権威をもち、妹の越後高田藩主松平光長の母勝姫の依頼で、勝姫の孫で光長の娘国姫と福井藩の松平光通との結婚に介入したほどでした。
そして寛文6年(1666年)2月、70歳で死去しました。

まとめ


千姫は、家康の孫、秀忠の長女として生まれ、大変可愛がられたということですが、幼いときに政略結婚の駒とされ落城も経験、幸せな再婚と思ったのもつかの間、イケメンで将来有望な夫は早世、嫡子も夭折してしまいました。

しかし江戸へ帰ったのちも、隠棲するどころか弟の将軍家光、江戸城大奥、親戚関係にも頼りにされる存在に。未亡人になり実家へ帰ってもこの存在感の大きさは不思議ですが、テレビの歴史番組で「大坂冬の陣屏風」の発注者の謎について討論したとき「千姫はお金を持っているから、発注者では」という研究者先生の発言があり、化粧料の10万石はそのまま死ぬまで使えたのでしょうか。

現在、千姫ゆかりの土地では、「大河ドラマの主役に」という運動が行われていて、千姫のオペラもあるそう。いつか千姫の物語が大河ドラマとして注目を浴び、謎が解明される日が来るのを待ちたいです。
  この記事を書いた人
angelica さん
子供の頃からの歴史好きです。 特に、女性史と外国人から見た日本史に興味を持 ...

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