丁寧に歴史を追求した "正統派" 戦国Webマガジン

「森蘭丸(成利)」信長に寵愛された聡明な近習

森蘭丸の肖像画
信長お気に入りの小姓として知られ、本能寺の変で信長と運命をともにした森蘭丸。
本記事では蘭丸の生涯はもとより、信長との数多くのエピソードも紹介していく。

蘭丸誕生と父の死

蘭丸は永禄8年(1565年)織田信長の重臣であった森可成の三男として尾張国葉栗郡で誕生した。

「蘭丸(らんまる)」とは幼名・通称であり、実名は「成利」とされる。 ちなみに一次史料(戦国当時の史料)には、「乱」「御乱」「乱法師」などの名で登場しており、「蘭丸」という名は存在しない。 このため、本来のらんまるは「乱丸」が正解のようだ。

父可成の功績

さて、父の可成といえば、元々は美濃国守護の土岐氏に仕えていたとされる。しかし土岐氏が斎藤道三の下剋上によって滅ぼされると、やがて信長に仕官。蘭丸の誕生時には、美濃攻めの功で信長から美濃金山城を与えられるなど、織田家中で有力な立場にあったとみられる。

その後は信長の上洛戦でも活躍。元亀元年(1570年)浅井長政の裏切りをきっかけに築かれた近江支配体制では、宇佐山城の守備を任せられるほどの重臣となっている。しかし、同年9月、信長が摂津国において反織田勢力と交戦していた際、背後をねらった浅井・朝倉連合に攻め込まれて討死してしまう(宇佐山城の戦い)。
なお、嫡男の森可隆(蘭丸の長兄)も父に先立ち、同年の初陣で討死したらしい。 ただ、幸いなことに可成には蘭丸を含めて実に6人もの男児がいた。このため、家督は13歳の次兄・森長可が継ぐことになったのである。このとき蘭丸はまだ6歳であった。

信長の小姓に仕え、転機が訪れる。

天正5年(1577年)、成長して13歳となった蘭丸は、弟の坊丸・力丸とともに信長の小姓として召し抱えられる。このころの信長勢力は、東海や近畿に加え、北陸や中国地方にも伸びようとしていた。各方面軍団も形成されるなど、天下統一に突き進む忙しい中で、蘭丸も信長側近として奏者や使番の務めをこなしていくようになる。

蘭丸の転機といえば、信長が寵愛していた小姓・万見仙千代の死であろう。
天正6年(1578年)、彼は検使の役目として多くの戦場に派遣されるなど活躍したが、同年の荒木村重の謀反により、信長軍が有岡城に総攻撃を仕掛けた際に、城壁を乗り越えようとしたところで敵に討たれて命を落としている。

この仙千代に代わり、寵愛を受けた小姓で有名な人物が蘭丸なのだ。

蘭丸が信頼性の高い史料にはじめて登場するのは、翌天正7年(1579年)であり、同4月18日には、信長の命で摂津の塩河伯誉守に銀子100枚を届けたことがうかがえる。(『信長公記』)
このとき、塩河が蘭丸の容姿や立ち居振る舞いに感心したとも伝わっているように、蘭丸は美形なだけでなく、聡明さも備わっていたようだ。信長が蘭丸と男色関係にあったのも有名な話である。

こうしたことから蘭丸が抜擢された理由も「信長のお気に入りの小姓だったから」というのが自然であろう。
信長の小姓といえば「蘭丸」が連想されるが、ここまで彼が有名なのは、江戸・明治時代を通じて蘭丸のエピソードが多く取り上げられ、拡散していったからである。残念ながら、そのエピソードの多くは創作といわざるを得ない。なお、数多くの蘭丸エピソードについては後述する。

蘭丸の活躍と本能寺での最期

17歳となった天正9年(1581年)には、近江国500石の知行と被官(つまりは家来)を信長から与えられたらしい。
以後、蘭丸がこなした仕事を『信長公記』から拾うと、以下のようになる。

  • 天正9年(1581年)7月25日、安土にきた信長の子たち(織田信忠・信雄・信孝)に脇差を贈り届ける。
  • 天正10年(1582年)正月26日、伊勢神宮への寄進に関する伝令のため、織田信忠のもとに派遣され、信忠に内容を伝える。
  • 同2月8日、雑賀攻めで討ちとった敵の首級を安土へ持参した斎藤六大夫に対し、褒美の小袖と馬を渡す。
  • 同3月20日、甲州征伐後、新たに降伏した小笠原信嶺が挨拶に参上したとき、矢部家定とともに本領安堵の朱印状を与える。
  • 同5月19日、安土山の惣見寺で、幸若大夫に舞を舞わせ、褒美として黄金十枚を渡す。

なお、武田を滅ぼした甲州征伐では、先鋒を務めた兄長可が戦後の恩賞として旧武田領の信濃国川中島四郡を与えられている。これに伴い、蘭丸も長可の所領であった美濃金山城を与えられるという恩恵を受けている。

蘭丸の最後

本能寺で最期を迎える森蘭丸(右田年英画)
本能寺で最期を迎える森蘭丸(右田年英画)

しかし、わずか数カ月後には運命の本能寺の変が勃発。

『信長公記』によれば、明智光秀の軍勢が本能寺を包囲し、四方から乱入したとき、蘭丸は信長とともに殿舎にあったという。はじめ信長は、下々の者たちが喧嘩していると思ったという。そして御殿へ鉄砲が撃ち込まれると、信長は「これは謀叛か。いかなる者の企てぞ」 と問いただすと、蘭丸が「明智の者と見受けます」と答え、これに信長は「是非に及ばず(やむをえぬの意味か。)」 と言ったという。

本能寺にいた者は、信長や蘭丸のほか、小姓衆、厩番衆、中間衆などの小者、そして女性らも合わせて100人程度と推察されている。本能寺内は、信長や蘭丸がいた「御殿」のほかにも多くの建物があり、明智軍の襲撃に対して各自が応戦したとみられる。やがて家臣たちは信長を守るために御殿へ合流。蘭丸も信長の側近くで奮戦したとみられるが、最期は討死して果てた。享年18。
なお、弟の坊丸・力丸の2人も運命をともにしている。


【逸話1】蘭丸の配慮(障子編)

※『鳩巣小説』より

森蘭丸が14、15歳頃の、とある日のこと。

織田信長アイコン

信長

今、障子を開けっ放しにしてきた。閉めてまいれ。

森蘭丸

ははぁっ!

森蘭丸アイコン

蘭丸は信長の命で障子を閉めに行ってみると、障子はきちんと閉まっていた。そして蘭丸はひらめいた。

森蘭丸

!!
(もしや殿は私を試しているのかも知れぬ・・・)

森蘭丸アイコン

蘭丸は音がたたないように障子を静かに開けると、今度は勢いよく音をたてて障子を閉めた。

そして蘭丸が信長のもとに戻り、

織田信長アイコン

信長

どうじゃ。障子は開いておったろう。

森蘭丸

いえ、閉まっておりました。

森蘭丸アイコン
織田信長アイコン

信長

では今「びしっ」と音はなんだ?障子を閉めた音ではないのか。

森蘭丸

その通りです。障子を閉めた音です。

森蘭丸アイコン
織田信長アイコン

信長

では、やはり障子は開いていたのだろう。

森蘭丸

閉まってはいたのですが、殿は先程みなに聞こえる大きな声で「障子を開けっ放しにしてきた」とおっしゃいました。皆が耳にしているのに「閉まっていた」と申し上げれば、殿がうっかり者だと周囲に知らせることになります。

森蘭丸アイコン
織田信長アイコン

信長

・・・。

森蘭丸

閉まっていたままでは、ご命令を無視することにもなりますので、わざと開けてから、皆に聞こえるように大きな音を立てて閉め直したのです。

森蘭丸アイコン

信長はこの配慮を気に入り、蘭丸の才覚を認めたのであった。


【逸話2】蘭丸の配慮(みかん編)

※『朝野雑載』より

ある日、森蘭丸が台の上にみかんを一杯積み、皆の者に見せてまわっていた。

織田信長アイコン

信長

蘭丸!そのほうの力では危ない、倒れるぞ。

信長が心配したとおり、蘭丸は台ごと倒れ、みかんが辺りに散らばった。

織田信長アイコン

信長

それ見ろ!わしの言った通りになったではないか。

そしてまた別の日・・・・・・。

ある者が蘭丸のみかん転倒事件について蘭丸に言った。

ある家中の者

あのとき殿の面前であんな無様をさらして恥ずかしいと思わぬか?

ある家中の者アイコン

森蘭丸

なんのみっともない事がございましょう。あのとき殿が注意下さったのに、ミカンの台を持ちこたえていたのでは、殿の御眼鏡違いということになります。

森蘭丸アイコン

ある家中の者

!!

ある家中の者アイコン

森蘭丸

それでわざと倒れたのです。まあ、座敷で倒れたからといって武道の傷にはなりませんから。

森蘭丸アイコン

ある家中の者

・・・。(くっこやつめ、そこまで考えておったとは・・)

ある家中の者アイコン

【逸話3】明智光秀が恨む!?蘭丸のご褒美の話

※『改正三河後風土記』より

ある日、信長は森蘭丸相手に褒美を与えようとしていた。

織田信長アイコン

信長

蘭丸。この中からお前のほしいものは何でも与えよう。

森蘭丸

この中に私の望む物はございません。

森蘭丸アイコン
織田信長アイコン

信長

では、そちが望む物を手の平に書いてみよ。わしも書いて見せてつかわそう。

信長がそう言うと、2人はそれぞれ手の平に書き、その後に内容を照らし合わせてみると、同じ文字が書かれていた。

織田信長アイコン

信長

フフ。どうだ。わしはお前の胸中をよく察しているであろう。望み通りにつかわすぞ。

森蘭丸

!!
・・殿にはまいりました。

森蘭丸アイコン

信長は笑いながら言い、蘭丸は深く頭を下げたのだった。そして2人の手の平には

”近江坂本6万石”

の文字が書かれていた。

近江坂本は蘭丸の亡き父・森可成(よしなり)の旧領であり、可成が討死したのちは明智光秀に与えられており、蘭丸にとって念願の地であった。

しかし、その明智光秀が障子越しにこっそりと2人のやりとりを聞いていたのだ。

明智光秀

・・・。
(くっ!わしをないがしろにしおってからに)

明智光秀アイコン

このときから光秀は信長を恨むようになり、それが本能寺の変の動機の1つになったという。


【逸話4】信長の爪の数

※『老談一言記』『朝野雑載』ほか…

あるとき、信長が自分の爪を切った後に言った。

織田信長アイコン

信長

蘭丸、この爪を捨てておいてくれ。

しかし、蘭丸は立って爪を捨てに行く気配がない。

織田信長アイコン

信長

ん?なぜ行かぬのだ。

森蘭丸

それが・・、殿の切った爪が一つ見当たらないのです。

森蘭丸アイコン

そこで信長が袖を振ってみると、爪が一つ落ちたという。

織田信長アイコン

信長

・・・・。
(フフ。小童のくせしてよう気が付くやつだ。)


【逸話5】信長から刀をもらう蘭丸

※『老談一言記』『朝野雑載』ほか…

あるとき、信長が厠(=便所)へ入る際、蘭丸は信長の刀を持って待つ間、刀のつばの菊模様の花弁を数えてみた。それからしばらくたったある日のこと…。

織田信長アイコン

信長

わしの刀のつばの模様の花弁の数をあててみよ!あてた者にはこの刀を与えよう。

信長がたまたまその刀について近習たちに言った。皆が答える中、蘭丸だけは黙っていた。

織田信長アイコン

信長

蘭丸、そちだけなぜ答えぬのだ?

森蘭丸

先日、殿が厠に入ってその刀を預かっている際、花弁の数を数えておりましたゆえ・・・。

森蘭丸アイコン

これを聞いた信長は感心して蘭丸に刀を与えたという。


【逸話6】明智の謀反を察知

※『武将感状記』より

あるとき、蘭丸が言った。

森蘭丸

明智殿の殺害をそれがしにお命じ下さい。

森蘭丸アイコン
織田信長アイコン

信長

!?・・・。ワケを申してみよ。

森蘭丸

今朝、明智殿が食事する様子をみたところ、口中の飯も噛まずに何やら考えているようでした。

森蘭丸アイコン
織田信長アイコン

信長

うむ。それで?

森蘭丸

箸を落としても気付かず、しばらくたって「ハッ」と驚く始末…。それほど深く何を考えているのか。おそらく天下の一大事を思い立ってのことでございましょう。

森蘭丸アイコン
織田信長アイコン

信長

ほほう…。

森蘭丸

手前が思うには、殿への逆心かと…。かようなことを申し上げるのも、明智殿が日ごろから殿を恨もうと考えられる事が幾多あるからでございます。決して油断はなりませぬ。

森蘭丸アイコン

この蘭丸の警告に信長は聞き入れなかったが、のちには明智の謀反により、実際に本能寺の変が起きたのである。


【逸話7】明智を殴る蘭丸

※『絵本太閤記』より

本能寺の変が勃発する約1カ月前、信長は家康を招いて安土で歓待することにした。

その接待役を命じられた明智光秀は、かねてから自分が主君信長に気に入られていないと思っていたため、このことを大いに喜んだ。光秀は喜びのあまり、家康の宿所とした大宝院に仮の御殿を造って壁に絵を飾り、柱には彫刻を施し、庭には珍しい草花を植えるなどし、さらには四方の警固までするほど万全を期していた。

その様子は誰からみても十分なほどに準備が整っていたが、これを知った信長は光秀を呼び出して言った。

織田信長アイコン

信長

こたびの接待をなんと心得ておるのか!!

明智光秀

!!!!

明智光秀アイコン
織田信長アイコン

信長

贅沢の限りを尽くすとは不届きであろう。関東の上客にこれほどのことをすれば、朝廷から勅使を迎えるときにはどうするつもりだ?

明智光秀

うっ!!

明智光秀アイコン

皆の前で恥をかかされた光秀は、怒りを顔にあらわした。すると信長は…

織田信長アイコン

信長

ううん?そちは反省しないのか。誰か、光秀の頭を打て!

周囲の者たちは互いに顔を見合わせ、ためらっていると、蘭丸がスっと立ち上がって光秀のそばに寄った。

森蘭丸

ご上位でございまする。

森蘭丸アイコン
光秀が森蘭丸に打たれるシーン(絵本太閤記)

蘭丸がそう言って鉄扇で光秀の頭を打つと、光秀の烏帽子が破れ、額には血が流れた。
(※上記は『絵本太閤記』内の森蘭丸が光秀を打つシーン)

明智光秀

くっ!!

明智光秀アイコン

光秀は屈辱に耐えながら、その場を退いた。本能寺で信長を討ったのは、それから約半月後のことであった。





おすすめの記事

 PAGE TOP