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明智光秀の謀反の理由がカオス過ぎる!本能寺の変の諸説まとめ。

現在の京都 本能寺
現在の京都 本能寺

すっかりと定着してしまった明智光秀の「三日天下」という謳い文句。しかし、実際は「11日間の天下人」というのが史実上では正しい。ならば、明智光秀のキャッチコピーというのは「イレブン(11)天下」と謳った方が、本来はベストなのかもしれません。

さて、そんな明智殿が戦国時代に引き起こした「本能寺の変」。そこにはビッグネームばかりが絡みすぎていて、未だに「○○らしいよ」と正確な事というのは謎めいてばかりでもあります。けれど、時代の圧倒的カリスマ・織田信長の寝首を獲った、という事にウソはなく、それはそれは大事実なのであります。

教科書上で簡単に「光秀が謀反を起こした出来事」という主流説をなぞるだけで済むほどの出来事ではない、というのもかつての歴史というのが、時代を越えて少しずつ解明されてきているからこそ言える事…。
いまだに辿り着けていない所が、なんだか徳川埋蔵金の行方と似ている気がして、魅力を感じ、私も謎解きする名探偵気分だったりします。

今回は、今の段階での可能性としてある「説」をもって、本能寺ミステリーについて触れていきます。
(文=wombat0314)

いまだに真相解明されない明智謀反の理由

そもそも敗者の歴史というのは抹消されてしまい、勝者の歴史こそが煌びやかに飾り立てられるという事が戦国時代での常識。 そのおかげで、勝った側が記した事ばかりが表立ってしまったいう事が、この件を含め、様々な歴史ミステリーを残してくれた要因だと思います。

しかし、そうは言っても、本当の事などメルヘンな創造物のシチュエーションのようにタイムトラベルが出来ない限り、100%を知る事なんて出来ません。それでも、安土桃山の時代からみればこんなに先の未来で、様々な歴史家さん方がこの魅力的な「本能寺」という舞台について調べています。

そのおかげで、「明智光秀はただのアンチヒーローではないのかもしれない」という説、例えば「黒幕説」のようなものもいくつか出始めたのです。

アンチヒーローといえば悪役ポジションの事を指しますよね。しかし明智光秀という人物は、エリート武将であったり、知れば知るほどむしろ悪役のイメージとは程遠い人物だったりもする…。そんな人物が起こしたこの本能寺の変は、ただ単に「俺が天下人になってやるぜ!」なんて事だけで主君へ謀反を起こしたわけではない、そんな可能性がフツフツと出て来たのです。

それは、ただ単にそう思いたいが為、というものよりも矛盾点のようなものが見いだされたからという事。 その中のどれが正しいのか、通説のまま明智光秀オンリーの謀反というのが正しい、という事も捨てきれなければ、まだ知られていないビッグネームが実は秘めているのかもしれない。

まだまだ解明途中だからこそ、「説」には変化があるのです。

「野望説」実は光秀自身が天下を狙っていた?

まずは、野望説というのがあります。

人が謀反を起こす理由として、「俺が俺が!」と天下を獲ったる精神が心にあったから、というのは1番の動機としてシンプルに浮かびやすいのかもしれません。

その説を真実だと決定付けるものが発掘されたなら、どんなにスッキリと頭の中が晴れるのだろうか。ただ、個人的には「野望」のように分かりやすい動機だったのならば、信長がやすやすと討たれる事は無かったのではないか、と思えます。

この説の見解としては「もしもそうなら、根回しをもっと慎重にしたのでは?」という意見もあります。光秀に秘めたる天下への思いがあったとしても、前もって「信長を仕留めた後には…」と、地盤固めのようなものは必要不可欠。そこを抜かりなくやるのでは?という意見があり、私も頷いてしまいます。

もちろん信長に謀反の企みがバレてしまうのを考えた上で、という事もあるでしょう。しかし、光秀は家臣たちにもギリギリまで打ち明けなかったという話です。さすがに本能寺の変の後には協力を求める行動もあったそうですが……。

果たしてそのような見切り発車であの時代に天下を掴めるのでしょうか? そんなワケで光秀が昔々から野望の種を持っていた、という説に少し矛盾があるように感じるのです。

「怨恨説」信長への恨みつらみが大爆発?

次は怨恨説です。

謀反を起こされた側、織田信長という人物像を考えてみると、本能寺の変を引き起こしたキッカケに信長への恨みごとがあったから、と言われたら、なるほど、と思えもします。

今でこそ社会問題となっている「パワハラ問題」も、ちょっと前までは見向きもされない出来事でしたよね。それは戦国の世程、ずっと昔ならば尚更の事。

信長の人物像というのを探ってみると、まず、生い立ちの中で、母親(土田御前)からの愛情不足というのが要因となり、その人格・姿を作り上げたとも言われているんです。

信長関連の書籍を読ませて頂いた時に、精神科医の方がそういった面で信長を分析しているものがありました。 そこで、気分屋・温厚と冷酷の差があまりに激しい、といった部分を精神疾患という分析をしていました。 母親が信長の弟の方ばかりを可愛がっていて、信長の事を疎んじていた事というのが性格を歪ませてしまった……と。

そのおかげで、合戦の上での武将としては大変頼もしい。けれども、恐ろしくもある人格を持ち合わせてもいる。そんな二面性が生まれた、と。

例え光秀がある程度の信長からのパワハラに我慢を出来る心の広さがあったとしても、塵も積もれば鬱憤だって爆発してしまう事はあったのかもしれません。

母の死への恨み説

信長に実の母(光秀の)を見殺しにされた恨み。 とある戦にて、城を明け渡してもらう為に人質交換をする。 けれども信長はその人質を殺してしまったので、織田から送られていた人質、光秀の母が殺された。

パワハラ説

有名なのは、徳川家康を接待中の不手際に激高された事。 日頃からの叱責、信長の気分屋によるパワハラからの鬱憤。 光秀の年齢は信長よりも5.6歳も年上だった……と考えると、ある意味、信長ってすごいですね。 なかなか、年上の方に……キレるなんて、できません。

四国攻めの説

四国の長宗我部元親と信長の間を取り持つ役目をしていた所を…信長の気分屋が炸裂し、面子をつぶされた恨み。 四国を丸ごと渡す事になっていたのに、光秀から秀吉にパイプ役を変えたと同時に、条件が変わったり……終いには四国攻めとまで話が激変した事。

光秀の恨み説としては、このような話が伝えられています。

「黒幕説」光秀は単なる使い捨ての駒?

全ては豊臣秀吉が黒幕だった。いやいや、秀吉だけじゃなく徳川家康もグルだった。 イエズス会の支援の下、秀吉・毛利、その他の武将… といった、海をも超えてしまう黒幕説。 他にも挙げようとすれば、黒幕説というのは多々あります。

その中でも「陰に朝廷あり!」「……足利こそが黒幕だ!」という2つの説も紹介しておきましょう。

朝廷黒幕説

かつては、この黒幕説を支持する方も多かったようですが、今では「否定派」が多かったりもします。 朝廷が、信長が己の存在を大きくしていく事へ脅威を感じた。それが黒幕となり、光秀を操ったというのです。

その説を肯定するとしたら、光秀は朝廷へのパイプ役(外交のような)の立場ではあったので、その際に信長殺害を命じられたら、朝廷には逆らえなかった、というシチュエーションも考えられなくはないのでしょう。

足利義昭黒幕説

上の朝廷説よりは、こちらの説の方が個人的にはあり得るのかな、と思っています。

まず光秀はずっと信長に仕えていたわけではなく、15代将軍の足利義昭を主君としていた時もありました。 信長と義昭の関係性は、最初は良かったものの、結果的に義昭は信長によって足利幕府(室町幕府)を滅ぼされ、追放されています。
その時からずっと恨んでいた、というのであれば、光秀と恨みのタッグを組んで本能寺の変を起こした、というのはゼロではないかもしれないな、と思えます。

様々に挙げられる黒幕説ですが、どれも証拠というのが残っていないようなので、もしも黒幕が居たのならとても隠蔽工作が上手だったのでしょう。

まとめ

結果として、光秀が謀反を起こしたのは事実です。けれども、言わば大罪人ともなってしまう人物が、知れば知るほど、もっと興味が沸いてしまうというのが不思議なものです。

もっと人物像にピントを当てると、彼の性格イケメンなエピソードというものもあったりするんです。私はたまたま最近、明智光秀の末裔の方の本を読ませて頂いた事によって、またこの「本能寺の変」の見方が変わったりもしました。

まだまだ謎めいた「明智と本能寺」のお話ですが、その続きはまたの機会にお披露目させて頂ければと思います。





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