関ケ原の戦い後、宇喜多秀家が流罪となった場所は?

豊臣五大老の一人、宇喜多秀家は関ヶ原の戦いで西軍の大将格として働いたため、流罪となり、その地で亡くなりました。その流罪の地とはどこでしょうか?

( 正解率は 73 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「八丈島(東京都)」

  回答内訳

26人が回答済 (※未回答での閲覧回数は 2回

徳之島(鹿児島県) (0回答、0%)
隠岐島(島根県) (6回答、23%)
五色台(香川県高松市・坂出市) (1回答、3%)
八丈島(東京都) (19回答、73%)
 解説

宇喜多秀家は西軍の大将格だったため、関ヶ原合戦以降、薩摩国等に逃亡しましたが、徳川家康の裁定によって八丈島に流罪となりました。

関ヶ原に参加した武将の中では最も長生きしており、1655年に84歳で亡くなりました。妻の実家である加賀前田家から大名への復帰を打診されていますが、徳川への恨みからか徳川配下の大名への復帰を断っています。

ちなみに徳之島(鹿児島県)には西郷隆盛、隠岐島(島根県)には後醍醐天皇が、五色台(香川県高松市・坂出市)には崇徳天皇が流罪となっています。

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