長谷堂城の戦いの際、伊達政宗が気遣った相手とは?

北の関ヶ原と呼ばれる慶長出羽合戦・長谷堂城の戦い。この合戦で最上義光が伊達政宗に援軍を頼んだ際に、政宗が述べたとされる「一つは家康のため、もう一つは◯◯のため」。さて、◯◯に入る人物の名前は何でしょうか?

( 正解率は 50 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「義姫」

  回答内訳

34人が回答済 (※未回答での閲覧回数は 3回

義姫 (17回答、50%)
愛姫 (9回答、26%)
片倉小十郎 (4回答、11%)
直江兼続 (4回答、11%)
 解説

西軍の上杉景勝と、東軍の最上義光・伊達政宗連合との戦いで「北の関ヶ原」といわれた慶長出羽合戦。長谷堂城の戦いはその一連の争いの一つです。

長谷堂城は山形城を居城とする最上義光にとって重要な支城でした。その長谷堂城が上杉軍に包囲される中、義光は政宗に援軍を要請します。政宗の重臣・片倉小十郎景綱は「上杉と最上の両家を争わせて疲弊させるべき」としますが、『治家記録』によると、政宗は「一つは家康のため、一つは山形城にいる母上(義姫・保春院)のために最上を見捨てるわけにはいかない」と述べたといい、援軍を送り出しました。

政宗が山形城にいる母の安否を気遣っていたことがうかがえます。

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