丁寧に歴史を追求した "正統派" 戦国Webマガジン

ヨーロッパから伝来した「南蛮文化」とは?

南蛮文化のアイキャッチ画像

織田信長や豊臣秀吉など、戦国時代から安土桃山時代の武将が取り入れたとされる南蛮文化。日本の歴史において南蛮(西洋)文化がもたらされたのは、この時が初めてとされており、その後の歴史においても多大な影響を与えている。

ここでは伝来のきっかけのほか、日本にもたらした物品等、南蛮文化の全体像をみていくことにする。

伝来のきっかけは南蛮貿易と宣教師

南蛮文化が伝わったとされるのは、16世紀の中頃からとされている。スペイン人とポルトガル人を総じて「南蛮人」と当時は呼んでおり、この時期盛んであったヨーロッパ人との貿易「南蛮貿易」とキリスト教宣教師がきっかけとなった。彼らが持ち込んだ食品や道具・日用品、芸術品や宗教、それに伴う思想・考え方などが主な伝来文化とされている。

この時期はヨーロッパの強豪諸国が世界中を駆け巡った大航海時代真っ盛りであり、コロンブスが喜望峰を乗り越えアメリカ大陸を発見したのもこの頃である。日本人が世界の文化に触れて、国際的な刺激を受けた歴史的な期間ではあるものの、残念ながら短命に終わってしまう。というのも、17世紀前半に天下統一を果たした徳川幕府が外国人の入国・貿易を制限する鎖国政策を発布・施行したためである。

伝わった物品は?

ヨーロッパ諸国(スペイン・ポルトガル)との貿易を経て伝わったとされるものは、非常に多い。

まず、物品としてはカステラ・ブドウ酒や金平糖・ボーロなどの食品、メリヤス製品をはじめカッパやラシャといった衣類、カルタなどの雑貨といったように多くの物が挙げられる。世界地図・地球儀や活字印刷機(印刷文化)、機械式時計、オルガンやヴィオラなど西洋楽器といった芸術にまつわるものや、さまざまな技術も伝えられた。

また、南蛮文化を語る上で欠かせないのが鉄砲伝来であろう。天文12年(1543年)、ポルトガル人の手によって種子島に伝えられたという火縄銃。馬に乗って刀や槍を振るうスタイルであった戦闘方法が、火縄銃の登場によって激変した。特に織田信長天正3年(1575年)長篠の戦いにおいて、鉄砲をメインにした戦術で武田軍に大勝したことは広く知られている。

キリスト教が伝来

キリスト教が伝わったとされるのは、天文18年(1549年)のことである。 薩摩国鹿児島へと訪れたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルの手によってキリスト教が広められた。

ザビエルは、中国地方の戦国大名である大内義隆に時計やメガネ、火縄銃・ブドウ酒の他にオルゴールなども贈呈している。 ザビエルの後も次々と来日しては布教活動を行い、天正4年(1576年)には教会堂・南蛮寺(京都)や、神学校(安土・滋賀県)なども建てられた。後の世に徳川幕府によって禁止されるものの、隠れキリシタンの存在が出るなど密かに信仰が続けられ、明治時代に再び信仰の許可が出るなど、日本人に大きな影響を与えている。

さらに宗教の教えだけが伝えられたのではなく、神学や哲学・ラテン語、音楽や絵画、天文学や暦学・数学・地質学などさまざまな学問が一緒に伝えられた。ヨーロッパのキリスト教を通じての社会観念や倫理観(一夫一妻制など)、これまで多宗教に馴染んでいた日本人に大きな変革がもたらされたとされている。また、当時の日本では古来より、諸外国はインドと中国しか知らなかったが、ヨーロッパという存在と大航海時代によって明らかにされた世界の広さも同時に知ることとなった。

宣教師がもたらした影響は、医学の発展にも及ぶ。宣教師ルイス・アルメイダがハンセン病患者のための救護院や孤児院を設立し、このことがきっかけで南蛮医学が休息に広まったのだ。この病院で、アルメイダ自身が西洋の医術を用いて外科治療を行ったためである。内科や薬は、元々僧侶であった日本人キリシタンが協力し、同時に南蛮医学を享受することとなった。

日本文化との融合。

新しく取り入れた文化や品物・技術を用いて、これまでとは異なる学芸が生み出されたのもこの時期の特徴であろう。

画家である狩野派は西洋の絵画のテイストを取り入れ、南蛮風に描いた「南蛮屏風」が生み出された。遣欧使節によって安土城の風景を描いた南蛮風絵画が、ローマ教皇に贈呈されるなど交流も行われている。伝えられた活字印刷技術を用いて、キリスト教の教典の翻訳書は元より、日本語の辞書や平家物語など日本の古典文学の出版も行われた。当時の日本語の押韻が忠実に記されていることから、歴史だけでなく国語学的な見地からも貴重な資料となっている。

この他、イソップ物語を翻訳した「伊曽保物語」や「日葡辞書」、東国方言を記した「日本大文典」なども忘れてはならない。 長崎や天草などさまざまな地で出版されたが、それぞれの地名をとって天草版や加津佐版、長崎版などと称される。

まとめ

南蛮文化の伝来は、これまでインドと中国しか世界を知らなかった戦国から安土時代にかけての日本人に大きな衝撃を与えた。 カステラ・メリヤスなどの物品をはじめ、宗教や印刷技術など非常に多くの文化や技術、学問・芸術がもたらされたのは先に述べたとおりである。
江戸時代初期に発布された鎖国政策によって阻まれはしたものの、現代においてもその文化や言葉・技術は残っているものもあるように、日本の歴史における重要な節目であったことは間違いない。





おすすめの記事

 PAGE TOP