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にごり酒だけじゃなかった!戦国時代のお酒の種類

日本酒のイラスト

現代では日本酒業界も技術が進歩し、精米歩合二割三分なんていうお酒もあります。磨かれた日本酒は雑味がなく、すっきりとした洋酒のようなフルーティーさもあるのが魅力ですよね。しかし、今おいしい日本酒を飲むことができるのはメーカー伝統と技術と努力によるものです。

戦国時代の日本酒というと「にごり酒」のイメージが強いですが、実際はどのようなお酒があったのかを紹介します。
(文=東 滋実)

どんなお酒があった?

戦国時代にはすでに清酒と濁酒の区別はあったようです。一般によく飲まれていたのはやはり「どぶろく」などの濁酒ですが、鎌倉時代ごろにはすでに今のような清酒が造られていました。すでに古代には清酒の製造技術があったということ。

どぶろく
どぶろく

戦国期には技術もさらに発展していたようで、濁りがとくにひどいものは悪酒とされ、同じにごり酒でもひな祭などの祝い事の際に飲むような「白酒」とは区別されていました。白酒は神事や正月のはれの日などに用いられるお酒で、もともともち米で醸造したものをいいます。

酒造りの中心は京都と奈良

酒造りは京や奈良といった上方を中心に発展しました。それは京や奈良の大寺社が神仏習合のために寺の中で酒を造っていたことが関係しています。大寺社の酒は「僧坊酒(そうぼうしゅ)」というもので、平安時代から近世に至るまで寺社で盛んに醸造されました。

平安時代は朝廷が酒造の部署を管理しており、民間の酒造は大寺社が中心でした。酒を造るための米を手に入れる経済力や、労働力となる人員(修行僧など)、情報収集力と醸造技術の管理など、奈良や京都の大寺社は酒を造る絶好の環境があったため発展したのです。特に奈良の中川寺などは「奈良酒」の代表として名酒とされていました。

民間では…

奈良(大和)の僧坊酒とは別に、京の都では酒造が町場産業として発展しました。京都の名酒と名高い「柳酒」がその代表で、優れた清酒として他の酒の2倍以上の値段で取り引きされたんだとか。室町時代には、酒屋が幕府の財政を支える産業となっていました。

各地での酒の生産は?

それでは他の地域ではどうだったのか。酒の生産は荘園制社会の中で地方でも発展しており、全国各地に名のある酒が登場しました。先ほど紹介した大和の「僧坊酒」や、越後の「大野酒」、若狭の「小浜酒」など、北陸・近畿・中国・九州各地で酒造が発展していました。

夏酒・冬酒・古酒

当時の酒造りでは、年2回の醸造時期があったとされています。2月に仕込む「夏酒」と9月に仕込む「冬酒」です。もうひとつ、火入れする「古酒」もありました。

夏酒

夏酒・冬酒ともに「酛・添初・添仲・添留」の三段掛法で醸造されましたが、夏酒はおよそ1か月ほど三段掛をしたのちに20日ほど寝かせて造ります。ただ、夏酒は時期的に米の収穫に問題があり、純度にも問題があったことから近世には廃れました。

冬酒

「正月酒」とも呼ばれる冬酒は、全体でおよそ80日程度を要しました。

古酒

新鮮なものほどおいしい日本酒ですが、2年、3年ものでも「火入れ」することで磨きをかけ、酒の味をよくする方法がありました。お酒でなくても、例えば牛乳なんかを現代では低温殺菌加工しますよね。それと同じ考え方で、日本酒を殺菌することにより長期保存を可能にしたものです。古酒は味もよく、高価格で取り引きされたようです。

薬酒

日本酒は単なる嗜好品としてだけでなく、健康のための薬酒も多く取り扱われていたようです。近世初期に成立した『本朝食鑑』を見てみると、現代でもよく飲まれている「梅酒」をはじめ、「蝮蛇酒」、「蜜柑酒」「葡萄酒」「忍冬酒」などが薬酒として記載されています。全国的にさまざまな薬酒が生まれ、料理などにも活かされました。

どぶろくが基本だけど、清酒もあった

戦国時代のお酒は「どぶろく」のようなにごり酒が基本でしたが、清酒もすでに存在していたことがわかりました。しかし、やはり清酒は高級品。多く流通するお酒といえばにごり酒だったでしょう。

「黒田節」で知られる黒田官兵衛の家臣・母里太兵衛(もりたへえ)は大酒飲みで、福島正則が差し出した大盃の酒を一気に飲み干したという逸話が残っていますが、こんなことができたのもきっとアルコール度数が低いにごり酒だからでしょう。

「本膳料理」に関する記事でも紹介しましたが、当時の武士階級は宴会で酒をこれでもかというほど飲み続けます。現代のような日本酒の度数ではかなり危険ですよね。そういう面から考えると、戦国武将であっても基本的にはにごり酒を飲んでいたのではないでしょうか。





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