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「村松殿」信之・幸村の姉

村松殿は真田信幸・真田幸村の姉であり、小山田茂誠の正室。嫡男には小山田之知(ゆきとも)がいる。

彼女は1565年(永禄8年)、甲府の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)で武田家臣・真田昌幸山手殿の間に長女として誕生。

1582年(天正10年)の武田家滅亡時には武田の人質として新府城下の真田屋敷にいたが、信幸や幸村をはじめとする真田一族とともに真田に帰還している。また、このとき、嫡男の之知が身を潜めたという所伝があり、これに従えば小山田茂誠との婚姻の時期は武田家臣時代ということになる。

『加沢記』によると、その後、真田家が織田信長に臣従した際に人質として安土城へ出されたとされており、また、天正同年6月に信長が討たれた本能寺の変の際には行方不明となったとされている。

村松殿と呼ばれた所以は、夫の小山田茂誠が1590年(天正18年)に信濃国・小県郡村松郷(現在の長野県青木村)を昌幸から与えられて本領としたため、その地名をとったとされている。

弟の信幸(信之)・幸村との仲は手紙のやりとりで良好であったことが伺える。

大阪冬の陣後の1615年(慶長20年5月)には、幸村から手紙が届き、心配をかけたことや再開したい旨が書きつづっている。
また、1622年(元和8年)に信之が松代転封となった際には、信之の様子を気遣う手紙を送り、信之の返書には安心する旨の内容が記され、姉を気遣っている様子がうかがえる。

1630年(寛永7年)、夫・茂誠よりも先に死去した。





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