藩政の最高職はチーム制だった?「家老」の意味を解説
- 2022/05/17
時代劇などをみていると主君である「殿」に対して、高位の副官のような人々が一緒に描かれることがありますよね。封建社会においてもその組織運営自体は現代のそれと基本的システムの共通点が多く、トップを補佐する実務上の執行責任者の存在は不可欠でした。
江戸時代を通じてそんな役割を想定すると、やはり家老(かろう)が挙げられるでしょう。創作などでは殿に近侍して政策や財政など政務全般を統括し、時には主君に諫言を行うなど極めて重要な役職であったことをうかがわせます。今回はそんな、家老の意味について概観してみることにしましょう!
江戸時代を通じてそんな役割を想定すると、やはり家老(かろう)が挙げられるでしょう。創作などでは殿に近侍して政策や財政など政務全般を統括し、時には主君に諫言を行うなど極めて重要な役職であったことをうかがわせます。今回はそんな、家老の意味について概観してみることにしましょう!
家老とは
単に「家老」といった場合には、江戸時代の藩主のもとで藩政を統括する、家臣の最高職位を表しています。中世までは家宰・執事・老中・年寄・宿老などと呼ばれ、重臣のうちから選ばれるのが一般的でした。家老の定員は決まっておらず、複数人が合議輪番制で政務を行う点は幕府の「老中」などと同様です。少なくとも2~3名、多ければ10数名という家老を抱える場合もありました。また、家老は幕府法や官制で法的に定められた役職ではなく、慣習法的な性格の強いポジションとされています。
『国史大辞典』によると、これは戦国時代に大名・小名によらずその家政を担った者を家老と呼んだことにも由来し、守護にとっての守護代になぞらえた捉え方もされています。
戦国時代に家政を司った者を「家老」と呼んだ例としては織田氏や今川氏が挙げられ、大友氏では「年寄」、伊達氏では「宿老」といいました。家臣団のうち最重要職であり、家中の第一人者という位置付けから、幕府における家老ともいえる老中は譜代大名から選出されています。
江戸時代の家老という職名は諸藩において用いられましたが、なかには同職でも独特の呼び名を使用した場合もあります。
たとえば和歌山藩では「年寄」、鳥取藩では「御職」と呼ばれ、家老の世襲制を排した広島藩ではこれを事件の諮詢機関(参考として他の機関に意見を求める諮問機関)とし、家老相当職は「年寄」としていました。
このようなことから「家老」は基本的には大名の家臣団における最高幹部の呼称といえ、旗本や上級藩士の家臣団筆頭は普通「用人(ようにん)」と呼ばれます。ただしこれも慣例的なものであるため、家老の職名を用いる場合もあったとされています。
家老職は原則として、将軍に謁見できる「御目見(おめみえ)」の資格はないとされています。ただし御三家と御三卿に関しては別格であり、親藩・譜代大名の家老には旗本格を与えられた家柄の者が多かったといいます。
家老の種類について
一口に家老といっても様々な種類に分けられ、それぞれのポジションは少しずつ違う意味合いをもっていました。以下に、家老の種類と主な任務・意味合いをいくつか挙げてみましょう。江戸家老
江戸時代には参勤交代の制度により、各藩の出先機関である屋敷が江戸に置かれました。在江戸で政務にあたる家老を「江戸家老」と呼び、本国との連携が求められました。国家老
上記の江戸家老に対して、本国に在留して政務にあたる役を「国家老」と呼びました。あるいは「在所家老」などとも呼ばれ、参勤交代で主君が国不在の期間を任されるという重要な職といえるでしょう。城代家老
主君の格式が城主大名以上である場合の国家老は、「城代家老」といいました。「ご城代さま」などと呼ばれる職の者がそうで、江戸家老よりも高い格とされる場合が多いといいます。主君が「城主格」や「無城」の階級である場合には、城代家老の呼び名は用いられませんでした。筆頭家老
その名の通り、家老職のうち筆頭格の人材に対する呼び名です。「一番家老」「主席家老」「家老首座」などともいい、これは家老職が複数人で構成されるための自然な結果ともいえるでしょう。幕府の老中においても「老中首座」といった位置付けがなされるのと同様です。仕置家老
職掌を限定した家老に対して用いられた例のある呼称です。たとえば政治や経済に特化した任務を帯びた家老などが挙げられますが、独自色も強いため体系的な定義付けは難しいとされています。特殊な「付家老(つけがろう)」について
家老職のうち、「付家老」と呼ばれる特殊な職についても触れておきましょう。これは将軍家連枝の大名に対して、特別に将軍から派遣された家老のことを指します。「御附家老」、または「附家老」の表記も一般的で、御三家・御三卿・駿河徳川家・越前松平家などの付家老が知られています。
いずれも領国・知行地をもつ大名格の位置付けでしたが、時代が下るとともにその地位は相対的に低下し、幕末時点では事実上の陪臣的な扱いとなった例が多くみられます。
おわりに
家老職は幕府でいうところの老中に相当し、藩政の実務全般を取り仕切る最高職の総称でした。主君の補佐という立場ではありますが、現代でいえば複数人の総理大臣が交替で政務をとり、重要な意思決定は合議制で行っていたと例えることができるでしょう。
【主な参考文献】
- 『国史大辞典』(ジャパンナレッジ版) 吉川弘文館
- 『世界大百科事典』(ジャパンナレッジ版) 平凡社
- 『日本大百科全書(ニッポニカ)』(ジャパンナレッジ版) 小学館
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