不老不死の霊薬がシンボルだった古代名族!「橘氏」の家紋とは
- 2022/07/08
読み方の違いを含めると約29万種にも及ぶという日本の苗字。そのうち「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と総称される四つの氏が、歴史上重要な役割を果たしてきました。「源」は鎌倉幕府を創始した源頼朝などを輩出した「源氏」、「平」は平清盛などで有名な「平氏」、「藤」は貴族の頂点に立った藤原道長などで知られる「藤原氏」のことを指しています。
この三氏は比較的よく見聞きし知名度も高いイメージがありますが、最後の「橘」についてはもしかするとなじみが薄いかもしれません。しかしこの「橘(たちばな)氏」は古代に遡る名族であり、その氏の名が示す「橘」は日本の文化にも大きく影響するモチーフでした。
本記事では橘氏の出自と系統を概観し、彼らがどのような家紋を使っていたのか、探ってみることにしましょう。
この三氏は比較的よく見聞きし知名度も高いイメージがありますが、最後の「橘」についてはもしかするとなじみが薄いかもしれません。しかしこの「橘(たちばな)氏」は古代に遡る名族であり、その氏の名が示す「橘」は日本の文化にも大きく影響するモチーフでした。
本記事では橘氏の出自と系統を概観し、彼らがどのような家紋を使っていたのか、探ってみることにしましょう。
「橘氏」の出自とは
橘氏のはじまりは奈良時代の天平8年(736)、敏達(びだつ)天皇の第5あるいは第6世孫であった葛城王(かつらぎのおおきみ)が皇族を離れて新たにその姓を賜ったことによります。臣籍降下などと呼ばれるこうした処遇はよく行われ、源氏や平氏なども同様の経緯で下賜された姓であることが知られています。橘姓を賜った葛城王は、その名を「橘 諸兄(たちばなの もろえ)」と改めました。一説には諸兄が元正天皇の意向を受けて万葉歌の編纂を大伴家持に託したともいわれ、家持との親交からも万葉集成立に深く関連する人物とされています。
諸兄の父は敏達天皇の子孫である美努王(みぬおう)、母は宮廷女官であった県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)でした。
注目すべきは母の三千代が中臣(藤原)鎌足の嫡男・藤原不比等と再婚し、聖武天皇の皇后となる安宿媛(あすかべひめ)を生んだことです。後に光明皇后と呼ばれるこの人物は、皇族出身者以外から皇后となる例の端緒を開きました。諸兄にとって安宿媛は異父妹にあたり、橘氏と藤原氏は最初期の段階でこのような深い関連性のあったことがわかります。
諸兄は天平感宝元年(749)、人臣の最高位である正一位に叙されます。実は生前にこの正一位の位を授けられたのは、歴史上たった6名に限られています。藤原宮子・藤原仲麻呂・藤原永手・源方子・三条実美、そして諸兄が該当者です。諸兄は男性として存命中に正一位に叙された初の例で、大多数の例が死後の追贈という形でした。
名実ともに大貴族であった橘氏ですが、歴史上は隆盛を極めたというわけではありません。平安時代なかばに橘好古(よしふる)が大納言となったのを最後にその家流は衰退し、中~下級の公家としての位置付けが一般的となります。
橘氏の紋とその歴史的な意味付けについて
橘氏の紋はその名のとおり「橘(たちばな)」の花を図案化したものとされています。 先述したように朝廷内での橘氏の権勢が衰退していき、存続したその一族の多くは橘紋を用いなかったといいます。しかし日本の歴史文化にとって橘という植物は特別な意味を持って尊重されており、その名残がさまざまな事物に見受けられます。
そもそもタチバナとはミカン科の柑橘で、直径3cmほどの小さな蜜柑のような実のなる日本固有の種です。記紀神話においては垂仁天皇が常世(とこよ)の国という異世界に田道間守(たじまもり)を派遣し、そこから持ち帰らせた不老不死の霊果が橘にあたるとしています。
これを「非時香果(ときじくのかぐのこのみ)」といい、橘には神仙に通じるような特別な力があると信じられました。その爽やかな香りが尊ばれたことはもちろん、冬でも青々とした常緑の佇まいは不老の象徴ともされています。
京都御所の紫宸殿、あるいは雛飾りに見られる「右近の橘」がよく知られ、昭和12年(1937)に制定された文化勲章は橘の花や実・樹をモチーフにデザインされました。また、五百円玉の表には桐、裏には竹と橘の図案があしらわれています。
橘氏の系譜に連なる歴史上の有名人
橘諸兄という古代史上の重要人物に始まる橘氏ですが、歴史上は決して隆盛したわけではなかったことは既に述べたとおりです。しかし橘氏からは特によくその名を知られる人材が幾人も生まれています。例えば、空海・嵯峨天皇と並び「三筆」と称された平安時代初期の能書家、橘逸勢(たちばなのはやなり)。また平安時代中期の歌人で中古三十六歌仙の一人に選ばれた和泉式部の最初の夫である橘道貞も、橘氏の系譜に連なります。
武将では橘氏の末裔を称する氏族は多くありませんが、南朝の守護者として高名な楠木正成(くすのきまさしげ)は本姓を橘としています。ただし、家紋は橘ではなく、菊水とするのが一般的です。
おわりに
「四大姓」として名を連ねる橘氏。歴史に脈々と受け継がれてきたそのエンブレムは、文化の上でも重要なモチーフであり続けました。今や橘そのものが珍しい植物ではありますが、神話の時代には不老不死の霊薬と考えられたその位置付けに思いを馳せるのもまた一興ではないでしょうか。
【主な参考文献】
- 監修:小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)
- 『歴史人 別冊 完全保存版 戦国武将の家紋の真実』(KKベストセラーズ、2014年)
- 『国史大辞典』(ジャパンナレッジ版)(吉川弘文館)
- 『日本大百科全書』(ジャパンナレッジ版)(小学館)
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