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【吹田市のイチオシ史跡!】平安京の瓦を生産した古志部瓦窯(きしべかわらがま)

1、古志部瓦窯(きしべかわらがま)とは何ぞや?

古志部瓦窯跡は、大阪府吹田市岸部北4丁目の古志部神社境内にある、瓦をつくっていた窯の跡地です。

吹田市にある千里丘陵一帯は、

①古墳時代において、須恵器づくりの技術が発展していた!
②採れる粘土の質が良い!

という2点から、6世紀から8世紀にかけて瓦の生産がたくさん行われていたと考えられており、古志部瓦窯と七尾瓦窯(ななおかわらがま)は、吹田市に2か所ある国営の瓦窯です。

1941年、古代瓦研究者の藤沢一夫氏によって、平安京の瓦がこの瓦窯でつくられていた可能が指摘されていました。このことから、古代窯産業研究や古代瓦研究を専門とした多くの研究者が、古志部瓦窯に注目していました。

2、古志部瓦窯のおもな発掘調査と新しい発見


▶1968年…初の本格的な発掘調査
吹田市教育委員会によって初の本格的な発掘調査が行われました。その結果、13の窯跡があったことが確認されており、平安京から出土した瓦と同じ模様の瓦が発見されました。
この調査をうけて、古志部瓦窯跡は1971年に国の史跡に指定。史跡公園として整備されて現在に至ります。

▶1998年…工房跡の発掘調査
史跡の南側に道路を通すことが計画されたため、工房跡の発掘調査が実施されたました。その結果、瓦の製作場所、瓦の乾燥場所として、約2.3メートル x 7メートルの同じ大きさの掘立建物が2棟並んでいたことや、ほぼ同じ位置に東西1.5メートル x 2メートルの掘立建物が2棟並んでいたことが明らかにされました。

さらに丘陵斜面を平らにして工房を建てたことや、粘土や水を溜める穴、粘土の採掘用の穴、瓦製作台などの瓦生産のための施設が次々に発掘されました。

また、造営当時の規模が東西で280メートル、南北で190メートルという大規模な瓦窯であったことが明らかとなりました。これは、東京ドームの面積である0.047キロメートルよりかなり広いです。このことから古志部瓦窯は当時の最先端の技術が採用されており、国家に重く用いられていたことが分かりました。 

3、古志部瓦窯工房跡のたのしみ方

今回足を運ぶことができた史跡は、古志部瓦窯跡の工房跡です。車道の端にあるので、一見狭いし何もない公園のような印象を受けます。しかし、

①説明板が多く立てかけられている![写真1]
②掘立建物の位置が木の杭で示されている![写真2]

といった様子なので、古代の大規模な瓦窯の造営当時の様子がかなり理解しやすいです。古代の瓦や土器に興味のある方に、イチオシしたい遺跡のひとつです。

[写真1]たくさんある説明板の内の一枚です。見つかった瓦や、発掘現場の様子がていねいに書かれています。

[写真2]木の杭で掘立建物の位置を示しています。この位置に建てられた建物で瓦づくりや瓦の乾燥が行われていたと考えられています。
また、吹田市立博物館に、古志部瓦窯から出土した瓦と、瓦生産の様子が再現されたジオラマが展示されています。吹田市立博物館を見学し予備知識を付けた上で、見に行くと、より古志部瓦窯の当時の様子の理解が深まり、当時の瓦づくりを体感できると思います。

● 参考文献
吹田市教育委員会2012『吉志部瓦窯跡―出土瓦整理報告書―』≪18236_1_吉志部瓦窯跡 (1).pdf≫
           <2022年1月28日閲覧>
吹田市教育委員会1998『吉志部瓦窯跡(工房跡) 一都市計画道路千里丘豊津線工事に伴う発掘調査報告書1           
』≪4401_1_吉志部瓦窯跡工房跡.pdf≫<2022年1月28日閲覧>
現地説明板

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  この記事を書いた人
まっさん さん
お寺が好きなどこかの大学院生です。 考古学を専攻しており、古代日本史が大好きです! 将来の夢は文化財専門職

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