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【古代瓦研究入門】瓦の出土からわかること
- 2022/02/07
今回は古代寺院から見つかった瓦から何が分かるのかを、瓦研究の歴史を通して解説したいと思います。
軒丸瓦の模様から当時の時代を探る! その1:編年研究の誕生
▶ 江戸時代瓦研究が始まった時代は江戸時代にまでさかのぼることが出来ます。当時の歴史愛好家たちの間で、きれいな蓮華の文様がある軒丸瓦や軒平瓦[図1]を拓本するブームが起こりました。
[図1]軒瓦模式図(山崎 2011をトレースし、一部改変) 上段:軒丸瓦、下段:軒平瓦
拓本とは簡単に言うと、スタンプのやり方で文様を写しとるものです。
拓本は愛好家の間で流行しますが、その時に「違う地域でそっくりな模様の瓦がある!」、「時代によって瓦の文様が違う!」ということを発見。そして、文様の形によって時代を区分する「編年作業」が行われました。
まとめとして1827年に、法金剛院誉淳ら一部の歴史愛好家によって『古瓦譜』が作成されました。
▶ 明治時代から戦前
明治時代では、建築史家の関野貞氏によって模様による編年研究の骨組みが大きく完成しました。そして関野氏の研究を継いだ石田茂作氏が、編年研究と分布研究の方法の形を作り、1936年に『飛鳥時代寺院址の研究』として発表しました。
編年研究では、飛鳥時代の瓦を見つけるための方法として
『「飛鳥時代の寺院から出土する瓦」-「奈良時代の寺院から出土する瓦」=「飛鳥時代の瓦」』
といった「引き算」を用いた方法を述べました[図2]。
[図2]「引き算方法」の模式図(石田由紀子 2015を参考に作成)オレンジの枠で囲まれた丸2つが飛鳥時代の瓦だと考えることができます。
・右:奈良時代に建てられた寺院から出土した瓦
・左:飛鳥時代に建てられた寺院から出土した瓦
分布研究では、瓦の文様から寺院が建てられた年代や、造営した人を考えることが出来るとし、近畿地方と他の地方から見つかった瓦を、
①文様の形 ②瓦の縁の形 ③瓦の断面
の3点から比べることで、地方における文化の遅れを示すことに成功しました。
軒丸瓦の模様から当時の時代を探る! その2:編年研究の発展
▶ 戦後から1990年代戦後では、大きな発掘調査が進められるようになりました。それにともなって、かなりの数の古代瓦が発見され、同じ文様の瓦は、同じ木の型「范」(はん)を使っていることが分かりました。
使い続けることによって范に「傷」がつき、それが瓦に写し出されている場合があります。この傷から瓦を作った人たちの動きや、編年研究がすすみました。
多くの研究結果を踏まえ、1991年に森郁夫氏は、瓦文様の研究を「文様は寺院の特徴を表し、当時の様子を表しやすいもの」と重要視しました。
また、文様の分布研究を「お寺の建設で必要な技術はセットで移動しており、文様の分布は、当時のお寺建設を担う集団の移動が分かるもの」としました。
この考え方は、現在の瓦研究の前提となっています。
瓦のつくり方から技術の伝わり方を探る! 製作技術研究の誕生と発展
▶ 2000年代から現在2000年代に入ると、中国・韓国の瓦の研究がすすみ、日本の古代瓦の文様やつくり方がどのようにして日本に伝わってきたのかを求める研究が増えました。
2009年では、山崎信二氏を始めとする奈良文化財研究所の研究者たちが、瓦の文様と、つくり方に関して、大きな研究を行っています。研究成果として、8世紀初頭までの東アジアの瓦の文様・つくり方の移り変わりや、東アジアの技術・文化が日本に伝わった過程が発表されました。
● 参照文献
・石田茂作1936『飛鳥時代寺院址の研究』聖徳太子奉讃会
・奈良文化財研究所編2015 『遺跡の年代を測るものさしと奈文研』石田由紀子「白鳳か天平か、瓦が解決した「薬師寺論」」
・森 郁夫1991『日本の古代瓦』雄山閣
・山崎信二2011『古代造瓦史 - 東アジアと日本 -』雄山閣
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