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【須恵器研究入門】須恵器の出土からわかること

須恵器(すえき)とは、古墳時代半ばの5世紀中ごろに、韓半島から日本にやってきた焼き物です。須恵器の普及はかなり早く、古墳時代後半になると全国各地の遺跡から大量に発見されています。

須恵器のつくり方や形は時代を経るごとに変化していることが大阪府堺市の陶邑窯跡群などの調査によって明らかにされています。つくり方や形の違いが、考古学において、遺跡の年代を測定するキーポイントとなるのです。

そこで今回は、須恵器の種類と須恵器の簡単な編年(須恵器の時期区分)を説明することで、須恵器の発見から何がわかるのかを解説していきたいと思います。

1、須恵器の種類

まず、須恵器の種類に関して説明したいと思います。

須恵器は器であり、①貯蔵(ものの保管)、②供膳(ものの取り分け)、③煮沸(ものの煮炊き)といった、三つの用途に使われることが多いです。

①貯蔵用では壺(つぼ)・甕(かめ)が当てはまります。

②供膳用の須恵器の種類は数が多く、鉢・椀・皿・蓋杯【写真1】・高杯・杯・器台・瓦泉(はそう)・平瓶(へいへい)・提瓶(ていへい)などが当てはまっており、小型の壺もこの用途のためにつくられたものです。

③煮沸用は、熱の吸収が悪い須恵器には向いていませんが、甑(こしき)がこれに当てはまっています。

【写真1】須恵器の蓋杯(上:蓋、下:杯身)
蓋の口縁部付近にある、そり返っている所を「かえり」、杯身の口縁部付近にある出っ張りを「たちあがり」と言います。

2、須恵器の簡単な編年観【図1】

須恵器にはたくさんの種類があり、種類によって年代ごとの区分が異なります。
今回は、須恵器の中でも違いが分かり易い蓋杯の編年観を、現在私たちが使っている器の形に近づくまでの5世紀中ごろから8世紀まで紹介します。

▶ 5世紀中ごろ~終わり(古墳時代)
5世紀中ごろの中でも初めの方では、韓国の土器とそっくりな見た目をしています。しかし、時代を経るにつれて杯の底部のつくりが平底から丸底に変化し、形に統一感が見られるようになりました。

▶ 6~7世紀(古墳時代後期から飛鳥時代)
6世紀では、口径が大きくなると同時につくりが粗くなり、天井部や底部に回転ヘラケズリをしないものが出てきました。また、7世紀に入ると蓋杯は小さくなりました。それと同時に、蓋に「かえり」がつくようになり、杯にみられていた「たちあがり」が無くなっているものも見られるようになりました。

▶8世紀(奈良時代)
8世紀になると、蓋の「かえり」が無くなり、杯の底には台が取り付けられるようになりました。現代のものとそっくりな姿となっています。

【図1】須恵器(蓋杯)の簡単な編年表 
右側:蓋 左側:杯身(中村2001を参考に作成)

3、まとめ

以上のように須恵器の種類と簡単な編年観をまとめました。
今回紹介したのは蓋杯の編年だけとなってしまいましたが、須恵器にはたくさんの種類があり、種類ごとに時期区分も違います。

皆さんが博物館で須恵器を見つけたときは、どの種類なのか、どの時期のものなのかを、須恵器の形や特徴から考えてみると面白いと思います。

● 参照・参考資料
・中村浩 1990『研究入門 須恵器』柏書房
・中村浩 2001『和泉陶邑窯 出土須恵器の型式編年』芙蓉書房
・大阪府立近つ飛鳥博物館編集2006『年代のものさし : 陶邑の須恵器 平成17年度冬季企画展/重要文化財指定記念』

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  この記事を書いた人
まっさん さん
お寺が好きなどこかの大学院生です。 考古学を専攻しており、古代日本史が大好きです! 将来の夢は文化財専門職

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