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高野山を救った木喰応其の交渉能力

高野山を焼き討ちにする寸前だった秀吉が、なぜ高野山の支援をするというような態度に変わったのでしょうか。

高野山

高野山は、周囲に標高1000m級の山々がそびえる、標高約800mの広大な山上盆地です。真言密教の聖地として知られ、1200年前に弘法大師・空海が開山しました。

和歌山県北部に位置する高野山、実はこの名は地域の名称で、高野山という山がある訳ではありません。高野山全体が「一山境内地」といわれ、地域の全てが高野山の境内となっています。

境内には117の寺院がありますが、その中の50以上の寺院が宿坊になっていますので宿泊もできます。山内には二大聖地とされる「奥之院」と「壇上伽藍」があり、その奥之院には、墓石群・慰霊碑・供養塔などが数多く見られます。

焼き討ちの危機

当時の有力な寺社では、強力な兵を保持していました。以前に織田信長が、対抗勢力に加担した延暦寺を焼き討ちして皆殺しにしたように、天下人になっていた豊臣秀吉も強大な兵力を誇る社寺勢力を恐れたのです。

それ故に実行されたのが紀州制圧。その時、秀吉にはむかう勢力になっていたのが根来寺でした。戦国時代に最盛期を迎えた真言宗の寺院で、寺領はなんと72万石。更には、鉄砲を操る根来衆と呼ばれる増兵もいて、地侍の勢力である雑賀衆と組んで、秀吉軍の侵攻を阻んでいたのです。そして、思うように動けない秀吉は正面作戦を変更、手薄になった根来寺を急襲して焼き払ってしまったのです。

紀州制圧と並行して、秀吉は根来寺と同じ真言宗の高野山に使者を送ります。その内容は、全面降伏をせよとのことで、従わない場合は全山を焼き討ちにするとの脅しでした。

秀吉の刃が高野山にも向かうと予想していた高野山の僧は、すでに根来寺の焼き討ちを知っていたこともあり、降伏することにしたのです。それにより、17万石を誇った寺領は1万石になり、完全な武装解除が行われました。

もし降伏をしなければ、高野山全体が焼き討ちにあって消滅していたかもしれないと思うと、賢明な選択をしたことになりますね。

木喰応其の活躍

高野山を滅亡させまいと、降伏の使者に立ち豊臣秀吉と見事な交渉をした木食応其(もくじきおうご)。安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した真言宗の僧で、天正元年(1573年)に高野山に入山して出家します。

元々は武士だったとも言われる人物です。秀吉と交渉をして高野山を救った話は有名ですが、その他にも、この地を繁栄させるための数多くの功績が伝わっています。

当時、秀吉の抵抗勢力だった高野山、今にも焼打ちになる寸前でしたが、巧みな交渉術を身に着けていた応其上人(おうごしょうにん)の尽力で、高野山の滅亡をなんとか回避します。その後、秀吉の信任も厚くなり、高野山の再興に向けて協力体制を敷くことにも成功したのです。

連歌にもたけていた木食応其は、「無言抄」の著者としても有名で、文芸活動を通じて秀吉との関係も深くなっていったようですね。

秀吉と高野山の関わり

高野山は、秀吉に降伏したことで、当初の寺領以外は全てが没収されてしまいます。その上、経済的基盤までもが縮小になり、寺は荒廃を余儀なくされていきました。しかし木食応其の努力によって、秀吉は高野山復興の支援を約束します。大永元年(1521年)に焼失した壇上伽藍の再建も、秀吉の後援が大きな力になったのです。

高野山に大きく貢献した秀吉、理由のほどはわかりませんが、豊臣家の墓所が奥の院参道沿いの、一際広くそして一段高い場所に設置されているんですよ。名を取り実を与える秀吉の戦略、恨みを尊敬に摩り替えてしまう巧みさは、さすが天下を取った人物と言えるのではないでしょうか。

金剛峯寺

豊臣秀吉と高野山の間には、このような関わりがありました。木喰応其は、後に1千石を与えられ、客僧の宿泊所や学問を教える施設として興山寺を建立。そしてその後には、秀吉がその興山寺の東隣に清巌寺を建立して、母である大政所の菩提を弔います。

※金剛峯寺
※金剛峯寺

明治2年(1869年)になって、この2つのお寺が合併されたのが、現在の金剛峯寺(こんごうぶじ)なんです。まさに、秀吉と木喰応其の集合体といえるでしょう。空海は、高野山の境内全てを総称して金剛峯寺と名付けていました。今でも「総本山金剛峯寺」と言うと、金剛峯寺だけでなく高野山全体のことになります。

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  この記事を書いた人
五百井飛鳥 さん
聖徳太子に縁のある一族の末裔とか。ベトナムのホーチミンに移住して早10年。現在、愛犬コロンと二人ぼっちライフをエンジョイ中。本業だった建築設計から離れ、現在ライター&ガイド業でなんとか生活中。10年以上前に男性から女性に移行し、そして今は自分という性別で生きてます。ベトナムに来てから自律神経異常もき ...

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