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『吾妻鏡』で読む大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(3)以仁王の挙兵

本記事の第1回では『吾妻鏡』の概要について、第2回では文体についてご紹介しました。今回から、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』との比較に入っていきたいと思います。

前回の記事で引用した通り、『吾妻鏡』は、治承4年4月9日(ユリウス暦1180年5月5日)、以仁王と源頼政が平家打倒の挙兵を企てたという記述から始まります。

これはドラマでいうと、第3回「挙兵は慎重に(2022年1月23日放送)」で描かれた事件です。この回では、以仁王の挙兵から、源頼朝が挙兵を決意した6月24日(ユリウス暦7月20日)までの、およそ2か月間が描かれました。

ドラマは、伊豆国田方郡(現在の静岡県伊豆の国市)の北条館における和やかな家族団欒から始まります。北条時政(演:坂東彌十郎)の娘婿となった源頼朝(演:大泉洋)は、北条政子(演:小池栄子)との間に、長女・大姫をもうけました。

時政の後妻・りく(演:宮沢りえ)も妊娠しています。なお、「りく」という名はドラマの創作であり、一般的には実家の名字「牧」にちなんで、「牧の方」とよばれる女性です。

頼朝は平治元年12月(1160年1月)に起こった平治の乱に敗れて、平清盛(演:松平健)率いる平家に一族を滅ぼされ、自分ひとりが助命されて、京から遠く離れた辺境の伊豆で、20年にわたる流人生活を送っています。

表面上は妻子とともに穏やかな生活をしながら、心の底では一族の仇・清盛をわが手で滅ぼし、朝廷に復権する日を、虎視眈々と狙っているのです。時政の長男・北条宗時(演:片岡愛之助)を始めとして、平家の治世に不満を持つ東国武士たちも、頼朝が平家打倒の挙兵をする日を待ち望んでいます。

『吾妻鏡』のなかで頼朝が初登場する記事(治承4年4月27日)では、流人生活を送る頼朝の心境を、

歎きて二十年の春秋を送り、愁えて四八余りの星霜を積みしなり

と表現しています。

「四八余りの星霜を積む」とは、32歳を超えたという意味で、当時の頼朝はすでに数え33歳、当時の感覚でいえば人生の半ばを過ぎてしまっていました。『吾妻鏡』の表現は、頼朝の抱える鬱屈と焦りを、簡潔に美しく描きえたものと思います。

そのような、水面下の緊張が高まりつつある伊豆に、京で発生した一大事の知らせが舞い込みます。平清盛と対立した後白河法皇(演:西田敏行)は、治承3年11月(1179年12月)に清盛が起こしたクーデターにより、京の郊外にある鳥羽殿へ幽閉されてしまいました。そこで法皇の第三皇子・以仁王(演:木村昴)が、源氏の長老・源頼政(演:品川徹)の協力を得て、ついに平家打倒の兵を挙げたのです。

なお、頼政は頼朝と同じ清和源氏(せいわげんじ)の血筋ではありますが、ドラマよりも200年ほど前に分かれた家なので、非常に遠い親戚というところです。平治の乱で滅ぼされたのは頼朝の一族であり、頼政の一族は清盛に味方したため、平家政権下でも重用されていました。

このほかにも、清和源氏には非常に多くの分家があります。第6回「兄との約束」(2月13日放送)から登場する武田信義(演:八嶋智人)も、源氏の分家当主のひとりです。ドラマにおける頼朝は、自分こそが源氏の嫡流であるというプライドから、頼政や信義のような分家当主たちに激しいライバル心を燃やしています。これら清和源氏の血縁関係については、また稿を改めて書く機会があればと思います。

さて、前回にも紹介した通り、『吾妻鏡』には、
入道源三位頼政卿、平相国禅門〔清盛〕を討滅すべき由、日者(ひごろ)用意の事有り。然れども、私の計略を以ては、太(はなは)だ宿意を遂げ難きに依り、・・・・

とあり、そのために以仁王に近づいたとあります。

つまり、頼政はかねてから平家打倒の宿願をいだいていたが、独力では難しいので、以仁王に協力を仰いだということです。

頼政は清盛の推挙を受けて、従三位(じゅさんみ)という高い位に昇りつめ、公卿に列しました。これは清和源氏のなかでは初めての、極めて異例の昇進でした。「源三位」(げんざんみ)とは、「三位に叙せられた源氏の人物」という意味の呼称です。

このように、頼政は清盛のおかげで破格の出世をした人物であり、しかもすでに数え77歳という高齢でした。そのため、頼政本人にもともと平家打倒の意思があったかどうか、疑問視する説もあります。

『平家物語』では、清盛の子・平宗盛(演:小泉孝太郎)が、頼政の子・源仲綱を侮辱したために、頼政が平家を深く恨んだという話になっています。これは本当に起こったことかもしれませんが、あくまで物語ですから、史実として確認することはできません。

『吾妻鏡』の歴史観では、「源氏が平家を滅ぼす」という大前提のもとで、頼政も源氏の一員として平家打倒を目指しているという記述になっています。しかし、清盛による後白河法皇幽閉のあと、冷遇されていた以仁王にこそ、平家打倒の動機は強く存在すると考えられます。

ドラマでも、宗盛と仲綱の物語は描かれず、以仁王が挙兵を主導し、頼政は協力者としてふるまっています。この点は『吾妻鏡』の位置づけとは大きく異なるといえるでしょう。

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  この記事を書いた人
愛水 さん

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