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徳川長丸と秀忠恐妻家伝説の謎

家康の3男で2代将軍となった徳川秀忠は、浅井三姉妹の末娘お江と結婚して2男5女に恵まれました。

そしてもうひとりお静と言う女中から、保科正之が生まれたことも知られていますが、長丸という名の長男がいたことは案外知られていません。

今回、この生後10カ月で夭折した長丸をもとに、秀忠の恐妻家伝説を考察してみました。

1、秀忠、お江と結婚

秀忠は、1579年5月に、徳川家康の3男として側室西郷局から生まれ、長丸と名付けられました。

しかし家康長男の岡崎信康は秀忠が生後5か月のときに切腹させられたことと、秀忠の母の実家は名家であることで、秀忠は幼名竹千代と改名し、後継者として育てられました。

そして12歳の時、豊臣秀吉の元へ送られ、秀の字をもらって元服し、織田信雄の娘小姫と婚約しましたが、小姫が夭折したので浅井三姉妹の末娘お江が秀吉の養女となって、秀忠と結婚。秀忠はこのとき16歳で初婚、お江は6歳年上で3度目の結婚(娘も一人いた)でした。

ふたりは伏見城内の徳川屋敷に住んでいましたが、

・翌年に長女千姫(豊臣秀頼と6年後に結婚)
・その2年後に次女珠姫(3歳で前田利常と結婚)
・そのまた2年後に3女勝姫(従兄の松平忠直と10歳で結婚)
・さらに翌年4女初姫(4歳で叔母常高院の養女として若狭小浜藩主京極忠高と結婚)
・さらにそのまた2年後に次男竹千代(のちの家光)
・またまた2年後に3男国松(のちの忠長)、
・そしてその翌年、5女和子(13歳で後水尾天皇に入内)

が生まれました。

なお、4男の庶子保科正之は1611年の生まれで、母はお静といい、秀忠の乳母の侍女または大工の娘説があります。

2、長丸は1601年の生まれ

そして問題の長丸は、3女勝姫と同じ年に江戸城で誕生しました。

母の名は伝わっておらず、身分がかなり低かったのではないかと言われますが、長丸は秀忠の最初の幼名と同じなので、最初の男の子でもあり、嫡男扱いだったでしょう。

長丸は、前述のように10カ月で夭折、死因は「お灸が原因」だということです。この時代は漢方が主流で、家康は薬オタクとして知られていましたが、具合が悪いとお灸をしたというのですね。

しかし秀吉が幼い秀頼に宛てた手紙には、「灸をしてはいけない」としつこく書いたのがあったはず。乳児にお灸はNGの風潮もあったのではないかと、不思議です。

3、秀忠恐妻家説はどこから?

ところで秀忠は、恐妻家であったと言われています。

・16歳の時に6歳年上の姉さん女房と結婚し、側室がいなかったこと。
・家光が子供の頃、弟の国松を可愛がるお江に引きずられて家光を廃嫡寸前にしたこと。
・保科正之が生まれる前、徹底して正妻お江に隠し、重臣数人しか知らず、家光も偶然外出先の寺の住職から聞くまで庶弟の存在を知らなかったこと

などから、恐妻家とされたのではと思います。しかし、一次史料にはお江が嫉妬深いと書いたものはない(会津松平家にあるらしい)といわれます。

そういえば、お江の肉声や感情が伝わるような手紙類なども聞いたことがないので、不思議と言えば不思議です。

4、長丸の死因と保科正之を隠し子にした原因は?

そういうわけで、長丸誕生の頃の秀忠家の事情を再考証してみましょう。

当時秀忠の正妻お江は、2年ごとに女の子を生み、長丸の死の2年後にやっと竹千代が誕生。しかし長丸が生まれた同じ年に3女、翌年は4女が生まれたときは、焦りまくったのではないでしょうか。

この頃は後年の大奥ほど大規模ではなかったですが、お江が直接手を下さなくても、側近の侍女が何かしたかもしれないと考えても不思議はないと思います。そのことを、秀忠は知っていたのではないでしょうか。

長丸の死にお江が関係している。だからこそ、保科正之が生まれる前から秀忠は必死になって隠したうえに、生まれたのちはお江の手の届かないところへやり、かつ、お江の存命中は絶対に正之と会わなかったほど徹底した隠し子にしたのは、正之の命を守るためだったのではないでしょうか。

まとめ

秀忠が恐妻家だったという話は、長男家光をないがしろにして利発な次男忠長を可愛がったのを家康に訴えた春日局の話くらいで、ほとんど具体的な逸話がありません。

ただ、長丸の夭折と保科正之を隠し子にしたことをリンクさせると、秀忠が正室お江を恐れた理由が鮮明になるような気がするのですよね。

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  この記事を書いた人
angelica さん
子供の頃からの歴史好きです。 特に、女性史と外国人から見た日本史に興味を持っています。 最近は、ネット検索でどこまでも系図をたどったり、 再評価された人物とか、新しい発見とかを見つけて 学び直すなど、改めて歴史を楽しんでいます。

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