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【古代日本の玄関!?】福岡県鴻臚館をご紹介

鴻臚館(こうろかん)は平安時代、外国からやってきたお客様をもてなすための施設である「迎賓館」として営まれたところです。

日本では難波(大阪)・京都・筑紫(福岡)の3か所に鴻臚館があったと記録がありますが、今のところ存在が確認できたのは、福岡県の鴻臚館のみとなっています。

今回は日本の玄関と言ってもおかしくない福岡県鴻臚館を紹介します。

1、鴻臚館の歴史

● I期(7世紀末)・Ⅱ期(8世紀前半〜中頃)
この頃の名称は鴻臚館ではなく、筑紫館(つくしかん)でした。I期で、周囲を塀で囲んだ堀立柱の建物であり、II期では、周囲を柵で囲んだ建物でした。
遣唐使や遣新羅使といった、海外からの使節をもてなす場所である一方で阿倍仲麻呂や吉備真備、空海、最澄といった留学生、留学僧の出国や帰国先でもありました。

● Ⅲ期(8世紀後半〜9世紀前半)
南門や回廊状の建物をもつ礎石建物です。この頃では遣唐使や遣新羅使は停止されてしまいましたが、代わりに唐や宋、新羅の商人たちがやってくる様になりました。
さまざまな海外のめずらしい品物が持ち込まれ、鴻臚館は交易の拠点として栄えました。

※鴻臚館の変遷

2、鴻臚館から見つかったあれこれ

①トイレ
南西側に3基確認されており、籌木(ちゅうぎ)という細長い木の板(現代でいう所のトイレットペーパー)が大量に見つかっています。

②外国製の陶器
唐や宋、新羅産の陶器の破片が大量に見つかっています。白磁や青磁の小型食器や大型の壺など、多種多様な器があり、イスラム製の陶器の破片も少量確認されています。

③ペルシャからやってきたガラス壺(写真2)
ペルシャやイスラムなど西アジア産のガラス容器が見つかっています。青や緑のガラスがとても美しいです。

※ペルシャ産のガラス容器

3、現在の福岡県鴻臚館跡

現在は、南西部が鴻臚館跡展示館として保存されており、建物の跡を見ることが出来ます。他の場所では鴻臚館跡広場として、多くの市民で賑わう広場となっています。

福岡城とも近く、散歩エリアとして人気がある場所です。更に、建物があった場所には円や線が引かれており、当時の建物の跡を辿れます。

おわりに

鴻臚館に関する様々な事を今回は簡単に紹介しました!古代日本の玄関である鴻臚館は、現在では散歩エリアや古代日本を学ぶ場所としてもってこいです!

鴻臚館を学びたい人は、福岡市博物館の見学とセットで一度遊びに行ってみてはいかがでしょうか。

▼ 参考文献
鴻臚館跡展示館『鴻臚館』パンフレット
鴻臚館跡の展示パネル
福岡市博物館の展示パネル
福岡県教育委員会1991『福岡市鴻臚館跡I 発掘調査概報』福岡市埋蔵文化財調査報告書第270集

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  この記事を書いた人
まっさん さん
お寺が好きなどこかの大学院生です。 考古学を専攻しており、古代日本史が大好きです! 将来の夢は文化財専門職

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