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『吾妻鏡』で読む大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(9)坂東武士の去就

『鎌倉殿の13人』第4回「矢のゆくえ」(1月30日放送)の続きです。

源頼朝(演:大泉洋)は、平家討伐の手始めに、伊豆国の目代・山木兼隆(演:木原勝利)を襲撃することにしました。決行の予定日時は、治承4年8月17日の寅卯刻(午前4時から6時頃)です。そのための兵力を集めるべく、坂東諸国の武士に協力を呼びかけます。

しかし、挙兵が成功する保証はどこにもありませんから、彼らの去就はさまざまに分かれました。ドラマでは、頼朝の乳兄弟として信頼されていた山内首藤経俊(演:山口馬木也)すら、使者として訪れた安達盛長(演:野添義弘)の説得に耳を貸さず、「平相国と頼朝、虎と鼠ほどの差があるわ。このたびの挙兵、まさに富士の山に犬の糞が喧嘩を売っているようなもの」と罵倒していました。

これは史実の通りで、『吾妻鏡』治承4年7月10日条に、盛長が経俊から「条々の過言」を吐かれたことが記されています。『源平盛衰記』によれば、経俊は「富士の峰と長け並べ、猫の額の物を鼠の窺ふ喩へ」(富士山と背比べをして、猫の額にあるものを鼠が盗もうとするようなもの)と嘲ったとのことで、ドラマの台詞はこれをさらにどぎつくしたものです。

一方、相模国の有力豪族である土肥実平(演:阿南健治)や岡崎義実(演:たかお鷹)は、頼朝の将来性に疑問を抱きながらも、北条義時(演:小栗旬)の説得を受けて、頼朝のもとへやってきます。頼朝は田舎者の彼らを見下しているのですが、義時に叱られて、彼らの信頼を得るための演技に出ます。頼朝が「これから言うこと、誰にも漏らすな。よいか。今まで黙っておったが、わしが一番頼りにしているのは、実はお前なのだ!」と熱く語りかけると、実平も義実もコロッと騙されて、感激に震えながら忠誠を誓うのでした。

どう見てもコメディですが、これもまた史実に基づいています。『吾妻鏡』治承4年8月6日条によれば、頼朝は「当時経廻の士の内、殊に以て御旨を重んじ、身命を軽んずるの勇士等」――すなわち、召集に応じた武士たちのなかで、特に強い忠誠心を示した者たちを、一人ずつ呼び出して、挙兵の手はずを相談したのです。

頼朝は語りかけます。「未だ口外せずと雖も、偏に汝を恃むに依りて、仰せ合せらる」(まだ誰にも話していないことだが、お前だけが頼りだから打ち明けるのだ)。このように「慇懃(いんぎん)の御詞」を尽くす頼朝の態度に、武士たちは感激し、この人のために武勇を尽くすことを誓ったのでした。ドラマにおける頼朝の言動は、これをかなり忠実に再現したものというわけです。

ちなみに『吾妻鏡』によれば、この言葉をかけられたのは、土井実平・岡崎義実だけでなく、ドラマでは最初から味方になっている工藤茂光、そのほか宇佐美助茂・天野遠景・佐々木盛綱・加藤景廉の名が挙げられています。頼朝は人心掌握のために、よくよく苦労したものです。

さらに『吾妻鏡』は「然れども真実の密事に於いては、北条殿の外之を知る者無し」(頼朝はこんなことを言ったが、本当の密事については、北条時政だけが知っていた)と続けており、頼朝の言葉が演技に過ぎないことを容赦なく暴露しています。もっとも、これは『吾妻鏡』編纂当時の最高権力者であった北条氏へのヨイショとも考えられますが。

もうひとつ、重要な戦力として期待されていたのが、佐々木秀義(演:康すおん)と、その四人の息子たち(定綱・経高・盛綱・高綱)です。佐々木家はもともと近江国佐々木庄(現・滋賀県近江八幡市)を領地とする豪族でしたが、平治の乱で源義朝にくみして敗れ、領地を没収されてしまいました。そのため東国へ落ち延び、相模国渋谷庄(現・神奈川県大和市)の豪族・渋谷重国に武勇を見込まれ、その客将となって20年間を暮らしていました。

『吾妻鏡』によれば、治承4年8月9日に、秀義は同じ相模国の有力豪族で平家方の大庭景親から、頼朝の挙兵の噂が立っていることを聞かされました。11日、秀義は定綱を北条館へ遣わし、挙兵の動きが平家方に漏れていることを警告したので、頼朝は佐々木父子の忠誠を大いに喜びました。13日、定綱は軍備を整えるためにいったん渋谷へ帰りたいと申し出ました。頼朝は引き留めましたが、結局、「十六日必ず帰参すべし」と言い含めて帰郷を許しました。

ところが、16日は終日雨が降り続き、しかも定綱は戻ってきません。頼朝は、兵力があまりに少ないので、明17日の挙兵を危ぶみ始めます。『吾妻鏡』同日条は、頼朝の不安な心中を詳細に描いています。長文ですから原文は割愛し、意訳して紹介します。

「佐々木兄弟には、今日参着するよう言い含めておいたのに、誰も来ないまま日が暮れてしまった。いよいよ兵力が足りないから、明朝の兼隆襲撃は、延期してしまおうか。――しかし、18日は幼い頃から観音像を祀り、殺生を断ってきた日だから、今さらそれを破ることはできない。そうかといって、19日まで延期しては、挙兵計画が敵に露見してしまう。――そもそも、考えてみれば、渋谷重国は平家方なのだ。佐々木も渋谷と同心なのではあるまいか。それなのに、定綱が馳せ参じたことに感激して、やすやすと密事を打ち明けてしまった……」

こうして「頻りに後悔せられ、御心中を労せしめ給ふ」頼朝の姿は、鎌倉幕府を創始した偉人というイメージから離れて、実に人間くさいものです。まだ弱小勢力に過ぎなかった頃の頼朝の苦心は、『吾妻鏡』のなかでも、文学的な面白さに最も富んでいます。

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  この記事を書いた人
愛水 さん

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