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日本初の美人コンテストとGEISHA総選挙

最近では、性的、容姿の差別につながるとして減少の傾向にあるミスコンですが、明治時代の美人コンテストは、素人とプロではまったく意味が異なりました。

日本初の美人コンテスト

「家族が勝手に応募した美人コンテストで、1位をとりました!」といったら、現代ならニュースで騒がれ、芸能界からは引く手あまた。さぞかしこれからの人生、順風満帆で送れそうなものですが、明治時代だと世間の評価は真逆でした。

なんと、美人コンテストで1位を獲った女性を待っていたのは、「退学」という厳しい処分だったのです。それも、自分で応募したわけじゃなかったのに…(義理の兄が勝手にやったらしい)

今なら「うちの学校から美人コンテスト1位が出ました!」と、学校の宣伝材料になりそうですが、その女性が通っていたのは学習院。当時は皇族や貴族の子女が通う、やんごとなき学び舎、おまけに学長はあの明治の大将、乃木希典でした。

真偽は定かではありませんが、乃木学長は美人コンテスト参加を「けしからん」として彼女に退学を言い渡したそうです。

しかし、それではあまりに可愛そうということで、乃木大将は彼女によい嫁ぎ先(イケメン将校)を紹介してくれたとか。

明治時代、美人コンテストに一般女性が参加するには、まだまだ敷居が高かったようです。

GEISHA総選挙

その後、美人コンテストの対象は素人からプロの芸者さんへ移行していきます。

明治時代、浅草に建てられた凌雲閣(りょううんかく)は通称「十二階」と呼ばれ、いまでいうスカイツリーのような展望スポットとして人気でした。

しかし、エレベーターが壊れて客足が衰えたため、客に階段を登らせるため苦肉の策として「芸者美人コンテスト」が開催されました。

この美人コンテストは、東京中の花街から集められた芸者さんたちの写真を楽しみつつ、「推し」に投票するというシステムで、この企画は大成功。普段の30倍もの客が詰めかけたそうです。

来場者の中には、何度も入場券を買っては自分の「推し」の芸者に投票を繰り返す旦那衆もいたそうで、このあたりのファン心理は明治も今も変わりませんね。

明治のアイドルたち

明治時代は写真の普及によって、さまざまな絵はがきが作られました。中でも人気だったのが芸者さんたちを撮影した「美人絵はがき」です。

当時の絵はがきは今と違って情報発信としての役割もありましたので、芸者さんたちは得意の芸事をしている姿や、ちょっとお色気なショットを撮ったりして、営業用に活用していたようです。

芸者さんたちは今でいうグラビアアイドルであり、会いに行けるアイドルでもあったのです。きっとファンである旦那衆は、こぞって「推し」の写真絵はがきを購入したのでしょうね。

まとめ

明治時代、一般の女性は控えめな良妻賢母が理想とされ、目立った行為は「はしたない」と言われていました。ましてや、美人コンテストなどもってのほかだったのです。

しかし、逆に芸能のプロであり、男性のお相手をする芸者さんたちにとっては、格好の宣伝材料になりました。

今では、普通の女の子がコンテストやオーディションでアイドルになるのは当たり前ですが、昔は「一般」と「プロ」の女性では、立場も意識も違っていたのですね。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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