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ほとんどの人がしている「生類憐れみの令」に関する勘違いとは

皆さんは「生類憐れみの令」というのをご存じでしょうか。

歴史の授業や教科書などで一度は目にした、耳にしたことがあると思います。生類憐れみの令といえば「虫を殺すと島流し」のようなイメージが非常に強いことでしょう。そのイメージは実際に間違ってはいませんが、生類憐れみの令はもっと重要な目的があったとされています。

今回は、ほとんどの人がしている「生類憐れみの令」に関する勘違いについて見ていこうと思います。

生類憐れみの令とは

「生類憐みの令」は、文治政治を行った江戸幕府5代将軍「徳川綱吉」によって制定されました。生類憐れみの令は「天下の悪法」と評され、徳川綱吉が亡くなったあとすぐに廃止されました。

生類憐れみの令では、牛馬や犬、鳥類を始めとする生類の殺生を禁止しました。虫すらも殺してはならなかったのです。

この制令の背景にあるのは徳川綱吉の儒学を重んじる思想でした。

徳川綱吉とは

5代将軍・徳川綱吉には、家康や家光などに見られる「家」という文字がありません。これは綱吉が将軍候補として見られていなかったためです。

綱吉は3代将軍・徳川家光の四男として生まれました。4代将軍には兄の家綱が就任し、順番的にも将軍になることはないと思われていました。

しかし、4代将軍・家綱には息子がいなかったため、既に亡くなっていた兄の綱重の代わりに綱吉が将軍の座につくことになったのです。

綱吉は儒学に心酔しており、先人への敬意や命の尊さを重んじる人物であったといいます。武断政治から文治政治へと政治方針を切り替え、人々の間に儒学を浸透させようとした結果、「犬公方」と呼ばれるに至ったということです。

ほとんどの人がしている勘違いとは

「生類憐れみの令」および「5代将軍・徳川綱吉」は世間でとても酷いイメージをもたれています。生類憐れみの令といえば悪法、綱吉といえば無能というような悪評が一般的ですが、実は生類憐れみの令の目的は動物を大事にさせること以外にもありました。

それは「子ども」です。当時、城下町には捨て子や孤児が多く存在し、尊い命が失われるケースが多くあったといいます。

大人が子どもを平気で捨てたり売買を行って奴隷のように扱ったりすることを防ぐために、徳川綱吉は生類憐れみの令を発したのです。

おわりに

いかがだったでしょうか。

意外と深い話だったのではないでしょうか。生類憐れみの令はただの悪法ではないことがわかったと思います。

当時、徳川綱吉の思想が受け入れられることはありませんでしたが、捨て子や孤児の問題は現在でも注視する必要があると筆者は考えます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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  この記事を書いた人
一茶 さん

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